乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

竹内一郎『人は見た目が9割』

67万部を突破したベストセラーだが*1amazon.co.jpのレヴューを拾い読むかぎり、評判は概ね芳しくない。「羊頭狗肉である」とか「タイトルと中味がずれていて、しかも中味が薄い」といった酷評が大勢を占めている。なるほど、「生まれつきの容姿で人生が左右される」と言わんばかりのタイトルである。しかも帯の惹句には大きな文字で「理屈はルックスに勝てない。」とある。さながら美容整形・エステのキャッチ・コピーのようだ。しかし、本書が容姿(ルックス)それ自体に費やしたページ数はわずかである。本書において「見た目」という語は「言葉以外の情報」すべて(p.12)を意味しており、会話の間合いでさえも「見た目」に含まれる。実は本書は帯の惹句にあるように*2(演劇とマンガを主たる素材とした)*3非言語コミュニケーションの入門書なのだ。酷評が多いのも、「タイトルに騙された。売るためには客を騙してもいいのか。汚い商売をするな。」といった不快感を読者に抱かせてしまうからだろう。たしかに、誇大広告の嫌いがあるが、広告は本が身にまとった衣装であり「見た目」の重要な一部だと考えるならば、本書がベストセラー街道を爆走している事実は、タイトルの真実性を逆説的に証明していることになる。その意味では本書は買い手を決して騙したわけではない。

非言語コミュニケーションの入門書としてはどうだろうか? 幅広いトピックを扱っている点は、入門書として評価できると思う。口述筆記なのだろうか、非常に読みやすい。すらすらと読み進められる。一、二時間で読了することも可能だろう。しかし、読み終えた後に何が残るだろうか? 章と章とのつながりは希薄で、各章においても論が論として練りこまれていない。一段落が非常に短い、つまり、改行が非常に多い。段落観念の希薄さが、散漫な印象を醸し出している。結果的に何が言いたい本なのかわからない。エピソードしか記憶に残らないのだ。こうした欠点は本書にかぎらず最近の新書(特に「語り下ろし」新書)の全般的傾向であるように思われる。*4

本書が曖昧で散漫な印象を与えるより本質的な原因は、「見た目」という語にこだわってしまったことにある。

同じ指示でも、Aさんが言えば従うが、Bさんが言っても従いたくない、ということは多い。内容より「誰が言ったか」の方が重要なのである。「伝達力」には能力や人格が問われるのである。ところが、その能力や人格は困ったことに「見た目」に表れるものなのだ。(pp.12-3)

作者のこだわりなのか、出版社側からの要請なのか、僕にはわからないが、とにかく、「言葉以外の情報すべて」を「見た目」という日常語で無理やり指示してしまうから、曖昧で散漫さな印象が本書につきまとい、読者は混乱に陥るのだ。普通の人であれば、「見た目」という語から「容姿(ルックス)」あるいは「第一印象」を思い浮かべることはあっても、「言葉以外の情報すべて」を思い浮かべることはない。結果的には、そうした読者側の錯誤のおかげで、本書は売上を伸ばし、ベストセラーの座にのぼりつめたわけだ。しかし著者は博士学位(比較社会文化)をお持ちの方だから、もう少し学問的で厳密な書き方(言葉の用い方)もできたはずだ。非言語コミュニケーションを指示する語としては、「見た目」などよりも山田ズーニーの「メディア力」*5のほうがはるかにふさわしいように思う。

本書には「髭はコンプレックスの表れ」「赤い公衆電話が消えた理由」「男子トイレの法則」といった楽しいエピソードが豊富だ。その意味ではたしかに楽しい本だ。しかし娯楽本の域を出ない。それはひとえに議論の粗雑さによる。僕は演劇経験者なので、著者が演出家としての経験から引き出した洞察には、かなりのリアリティを感じる。しかし、芳賀綏『日本人の表現心理』だけを頼りに、「日本人は、わからせようとする気持ちが少ない。テレビの討論番組を見ていても、相手を説得する気があるようには思えない。… / 何故、それでもよいのか――。それは、日本にそもそも「わからせなくてもよいのだ」という伝統があるからだ。例えば、西田幾多郎や、小林秀雄渋沢龍彦蓮実重彦などの文章を思い出してみればよい。日本の代表的知識人に、わかりやすい文章を目指していない人のなんと多いことか」(p.94)などと書かれると、「おい、ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。飛躍ありすぎ。後者のような単なる連想以上のものではない粗雑な議論が本書には散見され、記述の信憑性を著しく損なっている。著者は専門領域である演劇とマンガの現場体験だけにもとづいて論を展開することもできただろう。商売を広げすぎるのも考えものである。

本書を読む暇があったら、山田ズーニーあなたの話はなぜ「通じない」のか*6を読むほうがよい。本書よりはるかに実用的だ。

人は見た目が9割 (新潮新書)

人は見た目が9割 (新潮新書)

評価:★★☆☆☆

*1:5月2日現在。http://www.sankei.co.jp/enak/2006/may/kiji/02booksale.html

*2:「理屈はルックスに勝てない。」に続いてやや小さな文字で「日本人のための「非言語コミュニケーション」入門!」とある。

*3:著者は「さいふうめい」の筆名で、劇作、マンガ原作を手がけている。

*4:養老孟司バカの壁』はその代表格。口述筆記のせいなのか?

*5:「日頃の自分の発信力、影響力によって相手にどれだけの印象を残してきたか、信頼関係を築いてきたか、その集積を私は「メディア力」と言っています。例えば、社内のプロジェクトで高い評価を受けている人が、部外からも評価されているだろうと思っていたのに、まったく知られていなくて愕然とするということは、よくありますよね。これは、人は自分と関わったときの情報だけでしか相手を判断しないものだからなんです。」http://www.ntt-f.co.jp/fmag/interview/zoonie01.html

*6:http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nakazawa/reading2004.htm