乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

樋口陽一『憲法と国家』

著者は比較憲法学の第一人者。「著者としては、この本に、アクチュアルな同時代の問題に即した、ひとつの「比較憲法入門」としての役割をも託したつもりである」(p.206)とのこと。1999年に刊行された本書だが、8年たった今ごろに手に取った理由は、つい先日、社会思想史の教科書の分担執筆を依頼されたからである。僕が担当を任されたのはフランス革命ブリテンの人権論争。人権概念を改めて基本から学ぶ必要性を感じたわけだ。

本書は1989年に刊行された『自由と国家―いま「憲法」のもつ意味 (岩波新書)』の続編と言ってよい。1989年と言えば、旧社会主義圏の崩壊が始まった年である。以後10年の間に、かつて「ブルジョワ的」として貶められていた西欧立憲主義は「東」へと移植され、プラスシンボルとして復権を果たした。その価値の普遍性が再認識されたかのように見えた。しかし、他方で、民族紛争の激化と(EUに象徴される)国家統合の加速化は、近代立憲主義の基本的枠組をなす「国民」国家と「人」権の人為性(反自然性)を露わにし、その普遍的価値への疑念を生ぜしめるものでもあった。このような新しい問題状況を受けて本書は執筆された。サブタイトルが「同時代を問う」となっているゆえんである。

新書ではあるが、決して読みやすくはない。文体はややペダンティックを趣きを呈している。学部生には難しく感じるだろう。しかも、著者の思想的立場が「・・・である」「・・・べき」といった断定調で書かれていないことが、読みにくさを増幅する。それは答えを提出することではなく問題を指摘することが本書の眼目だからである。

僕の理解では、本書のキーワードは「緊張(関係)」と「選択」だろう。憲法的思考の本質は、両立困難な異なる二つの価値――具体的には、民主主義と法治国家、国家と人権、政教分離と信条・良心の自由、議会政治と政党政治等々――の論理的緊張関係と向き合うことに存する。憲法第9条の論理は、もはや「聖戦」「正しい戦争」はありえない、という哲学を含意しており、こうした哲学の選択が(近代立憲主義の核心である)権力への徹底的な懐疑の上に成り立つものである以上、戦後日本社会は正しい選択をしてきたのだ。本書における著者の主張を強引にまとめるならば、このようになるだろうか。全体として抑制の効いた筆致なのだが、例外的に憲法9条に対しては自分の立ち位置を明言している。いかにも護憲派の大御所である。

改憲論議が喧しい昨今であるけれども、法学に関してまったく素人である僕は、以上のような著者の主張の妥当性を云々できる立場にはないし、その能力も持ち合わせていない。しかし、行間から滲み出る思想史的教養には感服したし、思想史が同時代に発言するための叙述スタイルについても多くを学ばせてもらった。その共和主義理解も簡潔ながら興味深いものだった。

憲法と国家―同時代を問う (岩波新書)

憲法と国家―同時代を問う (岩波新書)

評価:★★★★☆