乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

間宮陽介『丸山真男』

増補 ケインズとハイエク―“自由”の変容 (ちくま学芸文庫)』を読み終わり、「そのついでに」とばかりに軽い気持ちで読み始めたのだが、そのあまりに浩瀚で刺激的な内容に圧倒された。丸山本来の問題意識をテキストの丹念な読解を通じて再構成し(pp.78-80)、「近代主義者」「戦後民主主義者」といった通俗的イメージ*1を根底から覆そうとしている。著者が新たに打ちたてようとするのは、日本の「無構造の伝統」「博物館的伝統」「植物主義的伝統」に抗う「真の伝統(保守)主義者」――著者自身はそういう表現を用いていないが――としての丸山像である(pp.33-34)。過去への依存と伝統の尊重は違う。伝統的価値への安易な訴えかけ(土俗・土着と伝統との混同)は、かえって何ものをも伝統化しない。伝統は不断の抵抗を通じて初めて再生されるものだ。*2

「伝統・保守」をキーワードとして本書を読めば、上のようにまとめられるかもしれないが、「公・私・公共性」「閉じた精神・開けた精神・開かれている精神」「活動・自由」などをキーワードとして読めば、また別のまとめ方ができるはずだ。とにかく浩瀚な内容を誇るので、読み手の数だけの読み方が可能だろう。かつての師N氏への事実上の訣別宣言と思しき一節(p.185)には驚かされた。フィクションとしての政治の擁護(p.227)は、『ケインズハイエク』で示されたユートピアとしての自由主義の擁護の延長線上に主張されているように思われて、とりわけ印象深かった。

一読しただけでは内容の十全な理解は不可能だろうし、二度目でも不十分かもしれない。それでも諦めることなく、何度でも繰り返しチャレンジしてもらいたい。それだけの価値はある。読み返すたびに刺激が増していく限界効用逓増本である。なお、つい最近文庫化されたようである。*3

丸山真男―日本近代における公と私 (戦後思想の挑戦)

丸山真男―日本近代における公と私 (戦後思想の挑戦)

評価:★★★★★

*1:その代表として吉本隆明色川大吉の丸山理解が厳しく批判されている。

*2:丸山自身は「保守主義が根付かないところには、進歩主義は自分の外の世界に、「最新の動向」をキョロキョロとさがしまわる形でしか現われない」(p.39)と述べている。

*3:asin:4480090517