以前に潮木守一『世界の大学危機―新しい大学像を求めて (中公新書)』をこの「乱読ノート」でとりあげたことがあるが*1、本書は日本の大学危機の現状を、各大学の様々な改革への取り組みを紹介しつつ、レポートしたものである。読売新聞の連載記事が元になっているだけに、潮木氏のような改革案の具体的な提示は見られないが、関係者への取材や独自アンケート調査などのデータが非常に充実しており、その点は新聞社としての面目躍如だろう。公刊後すでに5年近くがたってしまっているが、一私立大学教員たる僕の読むかぎりでは、書かれている内容が古びているようには思われなかった。
印象に残った記事は数多い。
授業内容の改革については、高知大学が取り組んでいる「日本語技法」の授業(pp.37-40)が印象的だった。ここに紹介されている石筒助教授は僕が大学院時代に親しくつきあっていた後輩である。彼曰く、「学力はそんなに落ちていない。ただ、発想の場が昔と違う。他人の意見への批判などは口にしないよう、学生たちが自分で無意識に自己規制している。彼らの発想のどう解き放つか、どうやったら伸びるかを試している。自分の考えを持ち、的確に表現するには、大学生が一番いい時期だ」(p.40)と。まことに至言であり、全面的な賛意を表明したい。彼の活躍はとても嬉しいが、この種の授業を自分の勤務先でなかなか導入できない現状はまことにはがゆい。現場主義の思想、フィールドワークの重要性(pp.78-81)については痛感しているし、ことあるごとに積極的に主張しているのだが、勤務先が経済学部だからだろうか、これもなかなか同僚の理解が得られない。まことにはがゆい。東京大学で全盲・全ろうのハンデを持つ教官が採用され活躍されている事実には驚かされたが、この福島助教授が行っている擬似的な盲ろう状態を体験する授業(p.152)は感動的な内容だ。僕自身が受けてみたい。
教員組織の改革については、「特任教員」制度に象徴される任期制の導入の本来の理念がわかったことは大きな収穫だった(pp.76-78, 137-158)。講座制の枠では推進が不可能なタイプの研究だからこそ、こうした制度が必然的に要請されたわけであり、めざましい成果も期待できるわけだ。裏を返せば、必然性のない場面や研究領域では決して導入するべきでない制度だと言える。人件費削減を主たる目的として導入しても、それは失敗を運命づけられているだけだろう。
危機を目の前にして、何もしないわけにはいかないけれども、とにかく何でもいじればいいってものでもない。誤った改革が「潰れない大学」を「潰れる大学」にしてしまう愚を恐れる。
- 作者: 読売新聞大阪本社
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/05/01
- メディア: 新書
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評価:★★★★☆