乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

阿部謹也『大学論』

著者は言わずと知れたドイツ中世史研究の大家。2006年に惜しまれつつご逝去された。僕はその著作を学部・院生時代に好んで読んだ。特に『自分のなかに歴史をよむ』という著作が大好きで、大学教員として教壇に立った最初の年(1998年)、1年生配当の入門科目「基礎経済学」で、この著作をテキストとして用いたくらいである。「大学で学ぶということはどういうことか」を新入生と一緒に考えてみたかった。*1

とはいえ、ここ数年はすっかりごぶさたになってしまっていた阿部さんの著作であるが、なぜか半ば衝動的に本書を手に取って読み始めてしまった。何がきっかけだったのか、僕自身にもわからない。本から僕のほうに近づいてきた感じ。

著者は1992年12月から98年11月まで一橋大学学長を務めた。その間に様々な機会で書いたり話したりしたもの(入学式や卒業式でのでのスピーチなど)を一書にまとめたのが本書である。公刊(1995年5月)後すぐに購入したのはまず間違いないから、10年近くも読まれる日を待って書架に眠っていたことになる。専門であるドイツ中世史の知見を踏まえつつ、「大学とは何をするところか?」「教養とは何か?」について、わかりやすく説いている。同じような内容が繰り返し登場するので、著者の言いたいことは比較的容易に理解できる。それを僕なりにまとめてみれば、以下のようになる。

ヨーロッパにおいて「個人」は12・13世紀に生まれた。1215年のラテラノ公会議で、すべての信者が一年に一度は告白をしなければならないことが義務づけられ、人々が自分の内面を自覚するようになったことは、「個人」の誕生にとって画期的な意味を有する。「教養」とは「いかに生きるべきか」という問いを考える姿勢から生まれるものであるが、「個人」が生まれるまで自分が「いかに生きるべきか」という問いを考える必要はないわけで、その意味で、「個人」の誕生と「教養」の発見は密接な関係を有している。ただ、当時のフランス語やドイツ語の文献は「いかに生きるべきか」という発想そのものを受け入れる語彙を欠いていたため、社会の中での生き方を考える時は常にラテン語で書かれた古典を参考にせざるをえなかった。そのことが後々まで影響して、古典を読むことと教養が同義語となってしまったわけである。あえて乱暴なまとめ方をすれば、真の教養(「いかに生きるべきか」という問いを考える姿勢)と偽の教養(古典的著作に関する知識)の対立が、本書の背骨にあたる。

個々の人間の問題、皆さんの問題としてみれば、「教養というのは、単に知識ではない。カントを読めるとか、そういうことではないのだ。いかに生きるべきかということ自分の与えられた持ち場においてきちっと考えていく姿勢を言うのだ」ということは、私は正しいと思っています。(p.71)

一般教育の目的はそれぞれの学生が教養を身につけることにある。それは上から知識を与えることではない。それぞれの学生が自分を知ることがその前提となる。・・・。
もし、理想的な教養教育が可能であるとしたら、私は実際に可能であると信じ、自ら行っているつもりであるが、それは学生の一人一人の焦点をあてた教育であると思う。(pp.172-3)

真の教養観に基づけば、「それぞれの学生が自分を知ること」の手助けをすることこそが、大学(特に教養教育)の使命ということになる。著者の実践の一端をここに紹介しておきたい。

私は昨年まで[=学長になるまで]一、二年次のゼミナールをもっていました。私にとってはたいへん楽しいゼミナールでした。そこでは『西欧中世における個人の発見』という書物を読み、日本人にとって個人とは何か、人格とは何かを皆で討論していたのです。夏休みには二泊三日の合宿をして、そこで一人一人が「自分はなぜここにいるのか」という題で一時間ほど報告をしたのです。
一人一人が親との葛藤や高校の校則、趣味や野球の話を一生懸命してくれました。その後で全員が話し合うのですが、皆が互いに理解し合い、共通の基礎ができたように思います。しかし、それ以上に自分というものを理解するきっかけがつかめたようなのです。
・・・自己を対象化することこそが自己を知るための第一歩なのです。また他の人の自己分析の結果を聞くことも大変役にたちます。私のゼミナールではこうして長い間やってきましたが、成功していると思っています。
自己分析をした結果、自分というものを対象化し得たとき、その先はどうなるのかといいますと、大学はその意味で大変好都合な場所です。自己分析を通して自分をある程度歴史的に解明しえたとして、その上でその自己を変えてゆこうという意欲が生まれるでしょう。自分はどうしたら変われるのかを毎日考えなければならなくなるでしょう。それには学ぶということ以外にはありません。(pp.227-9)

自分を知ることほど難しいことはないが、このような試みをする機会はわが国では意外に少ないのである。自己の形成史を幼児期に遡って辿ってみたときに見えてきたことを文章にして皆の前で話してみると、思いがけないことに、自分だけの問題だと思っていたことが多くの人に共通の問題であることに気づくことも少なくない。こうして社会と自分との接点が見えてくるのである。
世界との接点が他律的にではなく、自分の努力によって見えてきたとき、その人の学問の基礎が出来たことになる。最近の学生は政治や社会の問題に対して無関心だとよくいわれている。たしかに、かつてのように天下国家を論ずるというスタイルは今ではもうはやらない。かつての論じ方には自己の問題をいわば棚に上げて天下国家を論ずるという傾向があったが、今の学生たちは自己の問題から離れることなく、もっと地道に天下や国家を自分に引き寄せて関わろうとしているのである。そういう意味でこのような視点こそが大切なのである。
だがそれは学問の場合だけではない。社会人としても大切な基礎なのであり、生涯学習や社会教育の基礎ともなるのである。その意味でこのような試みが学生だけでなく、成人した人々の間でも行われることを希望したい。(pp.6-7)

このような著者の教養観は、(実務・実益を離れて天下国家・宇宙を論ずる)フンボルト的=ベルリン大学的な教養観(それは日本の旧制帝国大学に受け継がれた)とは基本的に異なったものである。後者は偽の教養の側にある、と言ってよい。

大学教育の大衆化を嘆く必要はない。むしろ、旧制的な教養主義への憧憬こそが断たれるべきである。フンボルト的=ベルリン大学的な教養観がナチズムと密接な関係を有していることを近年の研究は明らかにしているのだから。教養の本来の意味を大学が取り戻そうとする営みこそが教養改革・大学改革の名にふさわしいのではないか。著者は生涯学習にも積極的である。

本書は「世間」についても多くの紙幅を割いているが、ここでは割愛させていただく。いつか同じ著者の『「世間」とは何か』(講談社現代新書)をレビューする際にじっくり論じたい。最後に、本書の中で最も印象に残った一節を紹介しておく。反芻するたびに「そうだ、そうなんだ」と首肯してしまう。

司教座聖堂(カテドラル)を持つ教会が聖職者養成のために建てた学校に、学生たちが藁束を持って集まり、その回廊のあたりに腰を下ろして教師の話を聞いたところから大学が始まったといってよいと思います。図書館も教室も事務局もなく、学生と教師がいればそれが大学でした。(pp.11-2)

大学論

大学論

評価:★★★★☆

*1:拙HPの「落ちこぼれ経済学部生の本棚」でもこの書物を紹介している。http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/%7Enakazawa/bookshelf.htm