乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

根井雅弘『経済学はこう考える』

僕は根井氏の著作の熱心な読者でない。30冊を優に超える著作の中で僕が読むことのできたのは10冊程度である。そのことをあらかじめお断りした上で、大雑把な感想を記させていただく。

本書はこれまで根井氏が書かれた作品の中で最も良質なものの一つであるように思う。これまで読んだ中での私的ベストワンは『現代経済学講義』であった*1が、本書はそれに匹敵する魅力を有している。

本書の主役はマーシャル、ケインズ、ロビンソンの3人。シュンペーター、サムエルソン、フリードマンハイエククルーグマン、センらがその脇を固める。複雑な理論を初学者にもわかるように平易に説明する手腕にかけてはおそらく右に出る者のいない根井氏だが、高校生を読者として想定している新書のシリーズの一冊だけあって、その手腕にはさらに磨きがかかっている。

すでに他の著作で同様の説明がなされている可能性が高いのだが、個人的には「セー法則」の説明(pp.46-8)がとても勉強になった。わかったようでわからないモヤモヤ感にこれまでずっと付き纏われていたが、本書を読んでようやく腑に落ちた感じだ。これ以外では、価値論における「生産費説」と「限界効用説」の対立(pp.17-22)、ケインズにおける「投資の社会化」(pp.60-4)、ロビンソンの左傾化(pp.86-90)などがとても興味深かった。

本書に限らず根井氏の著作では、経済理論の背後にある経済社会へのヴィジョンがきわめて重視されている。それは根井氏が過度に数理化・抽象化された今日の経済学に強い違和感を覚え、「モラル・サイエンスとしての経済学」を経済学本来の姿として復権させることを切望しているからに他ならない。たしかに経済学はモラル・サイエンスである。そうでなければならないと僕も思う。ただ、本書を読んで「モラル・サイエンスとしての経済学」に強い関心を抱くようになった高校生が実際に経済学部に入学して経済学を学び始めた時、自分の関心と講義される内容とのギャップに苦しむのではないか。僕は中学・高校時代に経済小説を通して経済社会へのヴィジョンを育んだものだから、大学入学後、そのギャップに大いに苦しんだ。本書のようなすぐれた啓蒙書が登場しても、このギャップの問題は今でも避け難く残存しているように思う。何とかできないものだろうか? 経済学部の教員として生活の糧を得るようになって以来、年々その悩みは深くなっている。

経済学はこう考える (ちくまプリマー新書)

経済学はこう考える (ちくまプリマー新書)

評価:★★★★★

*1:僕自身が担当する「経済学説史」講義でも大々的に参照させてもらっている。