乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

五木寛之『人間の関係』

著者の五木寛之さんについて僕はほとんど何も知らない。彼の作品は小説もエッセイもこれまで読んだことがない。唯一の例外として、哲学者・廣松渉さんとの対談集『哲学に何ができるか』をずいぶん前(記録では2002年2月)に読んだだけである。

そんな五木さんの著作をなぜ今ごろになって読もうと思い立ったのかと言えば、表題となっている「人間の関係」という言葉に強く惹かれたからだ。「人生とは人間関係の束のことであり、それ以上でも以下でもない」というのが最近の僕の持論(←ちょっと大げさ)で、その持論への確信はここ数年強まりこそすれ弱まることはない。ベストセラーにはあまり手を出さない僕だが*1、自分が取り結んでいる人間関係を振り返る良い機会だと思い、手に取って読み始めた。

特に新しいことが書かれてあるわけではない。当たり前の言葉が身にしみるのは、僕が歳をとった証拠なのかもしれないが、やはりそれ以上に著者の作家としての類いまれな力量のなせるわざだろう。

べたべたに感情移入してしまう恋愛関係の危険性。愛からは執着・独占欲が生まれる。一歩引いたクールな友情関係の大切さ。夫婦は恋愛より友情。本当の信頼とは、どんなに裏切られても後悔しない覚悟のこと。見返りを期待してはいけない。縁、運命を素直に受けいれる。どうしようもないこともある。常に誤解されるのが人生。鬱とは決して悲しむべき状態ではなくエネルギーを内に宿した状態のこと。等々。

誰でもそうだと思うが、長年関係を取り結んでいる家族や友人たちに対しては、つい「一定の距離をおいて接する」ことに躊躇してしまいがちだ。僕もこれまでずっとそうだった。でも最近になってようやくそうすることの重要性がわかり始めてきた。「一定の距離」は決してよそよそしさの表現でなく、相手を人格ある存在として尊重していることの証しなのだ。「相手のために」と思ってとった行動が期待に反する結果を招いた時、相手への愛着が大きいほど相手への幻滅も大きくなりがちであることを我々は忘れるべきでない。勝手に期待して、勝手に落胆している。要するに「自分勝手」なのだということを。

何年かに一度、ふと本書を手に取り、ぱらぱらとページをめくっている気がする。胸の奥に刻んでおきたい珠玉の言葉があふれているから。

人間の関係

人間の関係

評価:★★★★☆

*1:ポプラ社」の創立60周年記念として企画されたこのエッセイ集は昨年11月の発売以来ベストセラーを記録している。