乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

夏樹静子『心療内科を訪ねて』

前々から読みたかった本。ようやく読む時間と機会を得た。素直にうれしい。

著者は推理小説界の大御所的存在。原因不明の腰痛を患って3年間の地獄のような日々を過ごし、心療内科での治療によってそれが完治したという経験を持つ。本書は(著者自身を含む)15人の心療内科患者の治癒体験を紹介したルポルタージュである。心療内科についての正しい知識を普及させたいという著者の願いが本書には込められている。

第10章で紹介されている眼瞼下垂の症例は、実は僕の母が二十数年前に患った症状とほとんど同じである。とても他人事とは思えない。当時、父が大衆食堂を閉店し建材業へと転職したために、我が家の生活環境は激変した。もともと我慢強くて頑張り屋で几帳面で完璧主義の傾向がある母だったので、新しい生活環境への過剰適応(感情の不自然な抑制)が彼女に極度のストレスをもたらし、それが身体的症状として出てしまったのだ。当時は心療内科はそれほどポピュラーなものではなかったし、心因性の病気に対する偏見も今よりもはるかに強かったから、その事実を受け入れることは本人も家族も容易ではなかった。そのためにかなり長期間にわたる治療を要してしまったことが、今となっては悔やまれる。母は40代の大半をこの病気との闘いに浪費してしまった。

15の症例が教えてくれているのは、内科的症状の裏に隠されている心の痛みは誰もが(程度の差こそあれ)経験する身近なものばかりだということだ。心身症はどんな人にも発生しうる。「べき」「はず」「ねばならない」への小さな執着が想像を絶する痛みの原因となりうる。しかし、その小さな執着は自分が認めたく現実と不即不離の関係にあり、それゆえ自覚的に取り除くことが非常に難しい。「病は気から」というのは真実なのだけれども、誰もが認めたがらない類いの真実なのだ。

人を描く小説書きの末席を汚しながら、人について自分がどれだけ無知であったか。その反省と共に、人間と自分に対する見方が変わった。
自分の中には自分の知らない自分がいる。意識の陰に潜在意識という生きものが潜んでいて、これは何を考えているのかわからない。
現に私の場合は、意識が少しもそれと知らない間に、潜在意識は着々と疾病逃避の要因を蓄積していたわけなのだ。
どうやら人間の本音は潜在意識のほうに多く偏在しているのではあるまいか。だからその声は聞こえにくい。意識の抱く「かくあるべき」とか「かくありたい」という威勢のいい理想や願望に反して、「かくある」という認めたくない現実を告げているからだ。しかし、時には人は立ち止まって、潜在意識のかそけき声に耳を傾けなければならないのかもしれない。(p.18)

心身症になりやすい性格傾向や行動パターンというものもある。自分も指摘されたし、私がお会いした患者さんの中には、いくつかの共通点が見出される気がした。
頑張り屋の優等生。自分はどんなに無理をしても与えられた条件に適応し、周囲の期待に応えようとする。
いいたいことをいわずに、のみこんで我慢する。
完全主義もよくない。逆に、まあ、いいか、といったファジーな姿勢が病気を遠ざける。
物事へのとらわれが発症を誘い、症状へのこだわりがいよいよ状態を深刻にする。
しかも本人はそうした性格や行動にほとんど気付いていない場合が多い。
そこに強いストレスが加わったり、忙しすぎて疲れきっているのに、本人はそのことも充分自覚していない。
自分の無理や我慢や頑張りが限界に達しかけていても、本人にはわからないというのはおそろしいことである。(pp.231-2)

「さすが人気作家」と唸らせる簡潔で流麗で的確な文章。本書を一人でも多くの人に読んでいただき、心身症への偏見を取り除き、心療内科への理解を深めてもらいたい。

心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す (新潮文庫)

心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す (新潮文庫)

評価:★★★★★