乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

河合隼雄『こころの処方箋』

惜しまれつつ昨年7月に他界された日本を代表する心理学者・心理療法家によるエッセイ集。1章4ページのエッセイが55章収められている。

僕のように、書くにつけ、話すにつけ、言葉を人並み以上に使う仕事をしていると、どうしても言葉を過信する方向に傾きがちだ。

言葉と行動がウラハラな人がいる。あなたはそれによって振り回される。その矛盾を相手が自覚できていればよいのだが、必ずしもそういう場合ばかりでない。言葉による説得でその矛盾を相手に気づかせようとして、それが結局相手を精神的に追い詰め、事態の打開に失敗してしまう。しかし、意識の下には無意識の領域が底知れぬほどに広がっていて、意識の上では「2対0」の勝負であっても、無意識のレベルでは「49対49」だったりもする。無意識の領域が実際の行動を司っているとすれば、言葉では「Aは好き、Bは嫌い」と言っているのに、実際の行動ではそのAと同じくらい頻繁にBという行動にも走ることになる。無意識のレベルまで含めると、この勝負は「51対49」という僅差の勝負である。

このような場合に、意識の上の「2対0」の勝負にしか目が向かず、それに拘泥して説得を試みてしまうのが、これまでの僕だ。論理中心主義的な、非常に浅薄な人間理解だ。大いに反省しなければはならない。それに気づかせてくれたのが、第16章「心の中の勝負は51対49のことが多い」である。わずか4ページながらも、僕の人間観・人生観に根本からの変更を迫ってきた屈指の名エッセイである。これからも長く続くであろう僕の教師生活に非常に大きな意味を持つはずだ。

第11章「己を殺して他人を殺す」も名品だ。「いい子」が突如として「勝手者」に変貌してしまうその心のしくみをわかりやすく説いてくれており、大いに啓発されられた。

「人の心などわかるはずがない」というのは、河合さんの口癖の一つだが、それはソクラテスの「無知の知」を彷彿とさせる。

一般の人は人の心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である・・・。即断せずに期待しながら見ていることによって、今までわからなかった可能性が明らかになり、人間が変化してゆくことは素晴らしいことである。しかし、これは随分と心のエネルギーのいることで、簡単にできることではない。むしろ、「わかった」と決めつけてしまうほうが、楽なのである。(pp.10-13)

子どものためにできる限りの努力をした、などという人に会うと、この人は、解決するはずのない努力をし続けることによって、何かの免罪符にしているのではないか、と思わされることがある。それは、何の努力もしないで、ただそこにいる、ということが恐ろしいばかりに、努力のなかに逃げ込んでいるのではないか、と感じられるのである。努力などせずに、子どものために父として母として、そこにいること、これは凄く難しいことだ。それよりは、飛行機に乗って偉い先生を訪ねて行く方がよほど楽である。(p.92)

解説で谷川俊太郎さんは「河合さんは口癖のように自分を常識人だとおっしゃるけれど、ただの常識人ではない。常識をより深くバージョン・アップし続ける常識人だ。その「常識」は新しく見えるかもしれないが、古くからの人間の知恵にその根を下しているから、私たちを納得させる力をもつ」(p.237)と評しておられるが、卓見である。上に引用で述べられている「即断を排して、期待しながら、ただそこにいる」ことの深い意味などは、まさしく人間の知恵の結晶と言えよう。現代人が河合さんから学ぶべきことはあまりに多い。

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

評価:★★★★★