乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

田中美知太郎『プラトン「饗宴」への招待』

碩学・田中美知太郎教授によるプラトン『饗宴』解説本。1971(昭46)年刊。もともとは1966(昭41)年11月、NHK(ラジオ第一)で一ヶ月(26回)にわたって放送された「古典講座」の講義録である。

「饗宴(シュンポシオン)とは何か」という問いを導入として、『饗宴』というエロース(恋愛)をめぐる対話篇の全体の構成を概観した後、7つの演説(パイドロス、パウサニアス、エリュクシマコス、アリストパネス、アガトン、ソクラテス、アルキビアデス)の内容を丁寧に――演説間のつながり具合に特に留意しつつ――解説している。アガトンとソクラテスの立場の差異を「技巧・演説・レトリック」と「真実・問答・ディアレクティック」との差異として簡明に整理した第16〜18回、ドクサ論を平易に説いた第20回が秀逸である。

このレトリックに対する批判、これは、プラトンの対話篇にたえず出てくる重要な課題の一つです。レトリックに対する批判、それに対して真実を語るということを強調します。これがソクラテスの新しい立場なのです。(p.159)

・・・レトリックとディアレクティック、演説と問答との二つの対照、あるいは対立・・・において考えるということがプラトンのいつもの考え方であった…。(p.163)

…知識と無知との中間に正しい思惑、真なる思いなしというもの、この「思いなし」をドクサといいますね。そのドクサの存在を考えるということ、これをひとつポジティブな意味をもつものとして考えるということ、これがプラトンの思想の重要な一つの面なのです。(p.183)


ペース配分を間違えたのか、後半がやや駆け足気味なのが残念。イデアやアルキビアデス演説についてはもう少し詳しい説明が欲しかった。ともあれ、35年前に刊行されたことがにわかに信じがたいほど、内容はまったく古びていない。今でも本書は『饗宴』への最良の入門書であると同時に、プラトン哲学への優れた入門書の一つであるだろう。講義録だけに平易な記述だが、斜め読みではなく繰り返し何度も精読してみる価値がある。それほどまでに味わい深い名著だ。絶版なので、古書店で見つけたらただちに買うべきである。*1

評価:★★★★☆

*1:上記の引用ページ数は1971年刊の単行本に拠っているが、「はまぞう」には1988年刊の合本版しかリストアップされていないので、書誌情報としては後者を載せている。