乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

見田宗介『現代社会の理論』

本書は名著としての評価をすでに確立している。amazon.co.jp のカスタマーレビューは5つ星(5点満点中4.75点)。同僚のMさん、Uさんからも本書に対する高い評価を聞いたことがある。かつてUさんは本書を基礎演習(1回生配当)のテキストとして使用されたとのこと。見田さんの本を読むのは今回が初めてだったのだが、小さなボディーに似合わない本格的な理論書だったので、読み通すのにけっこう骨が折れた。

「(近代社会一般とは区別されうるものとしての)現代社会の基本的な特質は何か」と問われたら、あなたは何と答えるか? 著者は現代社会を情報化・消費化社会として特徴づける。現代の情報化・消費化社会のシステムが社会主義システムよりも相対的に優秀かつ魅力的だったことは確かだ。しかしそれはこのシステムがそれ自体の内に矛盾と欠陥も持たないことを意味しない。現代社会が環境・公害問題、資源・エネルギー問題、貧困・飢餓問題の危機的な様相によって特徴づけられていることも確かなのだ。著者は、情報化・消費化社会の廃絶ではなく、その肯定的価値の全面開花の中に、これらの諸問題の解決の可能性を展望している。

トウモロコシを原料とするスナック菓子「ココア・パフ」を例に出して、著者は自らが描く展望を次のように説明している。

ゼネラル・ミルズ社は・・・ブッシェル2ドル95セントであったというトウモロコシを、75ドル4セントで、25倍以上の価格で売ることに成功している。・・・「ココア・パフ」を買った世代は、「トウモロコシ」の栄養をでなく、「パフ」の楽しさを買ったはずである。「おいしいもの」のイメージを買ったのである。・・・基本的に情報によって創り出されたイメージが、「ココア・パフ」の市場的価格の根幹を形成している。
ゼネラル・ミルズ社が同じブッシェルのトウモロコシから25倍の売上を得たということは、逆にいえば、同じ売上を得るために、25分の1のトウモロコシしか消費していないということである。つまり、この場合、飢えた人びとのからの収奪はそれだけ少ないということである。・・・情報化/消費化社会というこのメカニズムが、必ずしもその原理として不可避的に、資源収奪的なものである必要もないし、他民族収奪的なものである必要もないということ、このような出口の一つのありかを、この事例は逆に示唆しているということである。
・・・。
〈情報化〉それ自体はむしろ、その一般的な可能性においてみれば、この事例の示唆しているように、現代の「消費社会」が、自然収奪的でなく、他社会収奪的でないような仕方で、需要の無限空間を見出すことを、はじめて可能とする条件である。(pp.146-8)

情報化・消費化社会は、物質主義的=外部収奪的な幸福の彼方にある「生存の美学」――バタイユの言うところの〈至高なもの〉――を、人々の心の中に育んでくれるだろう、というわけだ。

だが僕は著者ほど楽観的に考えられない。本書が刊行された1996年以降に顕在化してきた現代社会の新しい相貌――本書が触れていない「フレキシブル資本主義」「フリーター資本主義」の展開――は、本書の内容に大きな補足・修正を迫っているように思われる。「生存の美学」を求める消費競争が、際限のないモードの変転を常態化させ、セネット『それでも新資本主義についていくか』が描き出したように、労働者から物語時間を収奪していくのであれば、情報化・消費化社会は(人間という)自然に対して本質的に収奪的だと言えないだろうか? もし改訂版が準備されているのであれば、消費と労働のスパイラルについての記述はぜひ加えて欲しいところだ。

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

評価:★★★☆☆