後期の「キノハチ研究会」*1でニーチェ『道徳の系譜』を読むことになっている。また、後期の4期ゼミでは宗教論を扱う予定だ。その準備として本書を手に取った。
永井さんの本はしっくりくる時とこない時の差が大きい。『〈子ども〉のための哲学』は前者で、読んでいて身体に電流が走ったほどだが、『ウィトゲンシュタイン入門』は後者で、何度読み返してもわかったようでわからず、モヤモヤ感が消えなかった。果たして本書は?
著者曰く、本書は「ニーチェおよび道徳哲学関係の雑文を集めたもの」(p.150)であるが、第1章「ルサンチマンの哲学:そしてまたニーチェの読み方について」と第2章第4節「怨恨なき復讐:われわれの時代のルサンチマン」は前者で、それ以外の論考は後者だと言える。
比較的読みやすい第1章と第2章第4節は、ニーチェのルサンチマン概念を理解する上での格好の手引きだ。内容はこんな感じ。
ニーチェは近代ヨーロッパの精神(≒キリスト教道徳)の源にルサンチマンがあると指摘する。ルサンチマンとは、現実の行為による反撃が不可能なとき、想像上の復讐によってその埋め合わせをしようとする者が心に抱き続ける反復感情のことだ。ただし、ルサンチマンという心理現象自体がニーチェの問題だったわけではない。彼が問題視したのは、そうした反復感情が価値転倒と結びつき、奴隷道徳を生み出すことであった。著者は、酸っぱい葡萄の寓話を援用して、ニーチェのルサンチマン概念の特徴を次のように説明している。
狐と葡萄の寓話でいうとこうなります。狐は葡萄に手が届かなかったわけですが、このとき、狐が葡萄をどんなに恨んだとしても、ニーチェ的な意味でのルサンチマンとは関係ありません。ここまでは当然のことなのですが、重要なことは「あれは酸っぱい葡萄だったのだ」と自分に言い聞かせて自分をごまかしたとしても、それでもまだニーチェ的な意味でのルサンチマンとはいえない、ということです。狐の中に「甘いものを食べない生き方こそがよい生き方だ」といった、自己を正当化するための転倒した価値意識が生まれたとき、狐ははじめて、ニーチェが問題にする意味でのルサンチマンに陥ったといえます。(p.16)
弱者は、強者との闘いにおいて、自分が勝てるゲーム――内面の法廷を最終審とする道徳ゲーム――を捏造する。そのゲームの中で強者に復讐する。
道徳にすがって生きざるをえない局面で発揮されるキリスト教的パワーというものを、現代的な場面で設定するなら、いじめられっ子の道徳的行動を想定するのが一番だと思います。・・・彼あるいは彼女は、クラスの誰にも気づかれない状況で、いじめの首謀者やクラス全員のために献身的に尽くすとか、何かそういうことをするわけです。・・・。
つまり、キリスト教的ルサンチマンは、反感や憎悪をそのまま愛と同情にひっくり返すことによって復讐を行なう装置なのです。この装置を使うと、憎むべき敵はそのまま「可哀そうな」人に転化します。だから、彼らの「愛」の本質は、実は「軽蔑」なのです。(pp.26-7)
奴隷道徳にすがって生きざるをえない弱者の精神は不健康かもしれない。しかしそれはやむをえない不健康さだ。奴隷道徳にすがって生きざるをえないようなギリギリの局面は、誰の人生にも起こりうる。しかし、まさにそれと形式上まったく同じ技法を、全然ギリギリでも何でもない時に、ずる賢く利用する輩もいるのだ。ニーチェが強く嫌悪したのは、弱者ではなく、そのような弱者ぶる強者であった。
決してやむをえないとも、他になす術がないともいえない、真に恥知らずな人々が、ニーチェの眼には映っていた。『道徳の系譜』の問題領域で言えば、それはルサンチマンに駆られた人々ではなく、もはや存在しないルサンチマンをでっちあげる人々である。・・・ニーチェの標的は、だから、弱者にではなく、弱者ぶるという精神的態度を身につけたこの二重の勝者にあった。「謙虚」という名のこの傲慢に対して、ニーチェの感情は爆発した。(pp.118-9)
著者は「ニーチェの道徳起源論、道徳系譜学というのは、実際はこの種の義憤から発したものではないかと思うのです」(p.38)と結論している。
以上、第1章と第2章第4節の内容を紹介した。「なるほど、そうだったのか」という感じで、特に付け加えるべきコメントはない。『〈子ども〉のための哲学』と同様に「いじめ」の例が登場しているのは、いかにも著者らしい。俗っぽすぎるかもしれないが、僕は好きだな。ルサンチマンと並ぶもう一つの主題である永劫回帰については、意味のあるコメントを書けるだけの十分な理解に到達できなかった。かなり難解に感じられた。僕の勉強不足も大きいのかもしれないが。
もともと僕はドイツ思想があまり得意でないのだが、カント、マルクス、ウェーバー、アレントあたりと比べると、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーあたりはいっそう弱い。一つ一つ克服していくより他ない。思想史の勉強は終わりなき旅だ。
- 作者: 永井均
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評価:★★☆☆☆
*1:ゼミ生有志との哲学古典読書会