昨年のベストセラー*1を遅ればせながら今ごろになって読む。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』を読んでいる時、自分と数字・数学との関わりに考えが及び、本書を思い出した。突発的に読みたくなった。
家政婦として働く未婚の母の「私」。彼女の息子でタイガースファンの小学生「ルート」。交通事故が原因で記憶が80分しか持続しない老数学者「博士」。3人の過ごした日々が淡々とした筆致で綴られている。数学の世界の純粋さは人を愛することの純粋さと重なり合ってゆく。読み終えて静かな幸福感に包まれた。
僕の場合、論文の出発点には、いつも想像力の働きがある。想像力に突き動かされて、連想がさらなる連想を生むのだ。それまで無関係に思えていたXとY、YとZが突然親密なつながりを有しているかのように感じられる。その「感じ」を「確信」へと変えてゆくこと。それが僕にとって論文を書くということだ。もちろん僕のこうしたスタイルは弱点も含んでいる。論理性・説得性がおろそかになりがちだ。思いつきの域を出なくて、お蔵入りになってしまった未完成論文も数多い。自分の研究スタイルには昔から悩みは尽きないが、(僕のような凡人の比ではない)作家の見事な想像力の飛翔に触れると、「論文を書くぞ!」という気にさせられてしまう。想像力がもたらしてくれる快感は格別のものだ。本書のような作品を読むととりわけそう思う。数学とタイガースがどうやってつながるのか?28という数字が両者をつないでいるのだが、これ以上の種明かしをするのはやめておこう。
数学は(試験で点数がとれるという意味での)得意科目では決してなかったが、ずっと好きな科目だった。数理経済学ではなく経済思想史を専攻したために、今や仕事で数学を使うことはまったくなくなってしまったが、好きであることに変わりはない。その理由が本書を読んでわかった。僕は数学に美しさや気高さや純粋さ、一種芸術的な何か、別の目的を達成するのための手段としてではなく自分自身を目的としているような何かを求めていたのだ。聖なるものに対する憧れ、とその気持ちを言い換えてもよい。
「数学の女王と呼ばれる分野だね」
缶コーヒーをごくりと飲み込んで、博士は答えた。
「女王のように美しく、気高く、悪魔のように残酷でもある。一口で言ってしまえば簡単なんだ。誰でも知っている整数、1、2、3、4、5、6、7・・・の関係を勉強していたわけだ」
・・・
「その関係を、発見してゆくのですね」
「そう、まさに発見だ。発明じゃない。自分が生まれるずっと以前から、誰にも気づかれずにそこに存在している定理を、掘り起こすんだ。神の手帳にだけ記されている真理を、一行ずつ、書き写してゆくようなものだ。その手帳がどこにあって、いつ開かれているのか、誰にもわからない」(pp.58-9)
大学への受験勉強の時も、確実に正答にたどりつける見込みがあっても計算が煩雑そうな問題には興味が湧かなかった。どこから手をつけたらいいのか見当がつかないような証明問題にチャレンジするのが好きだった。*2詰め将棋を解く時のような高揚感が心地よかった。もちろん、解けたからといって、特別な何かが得られるわけではない。快感が得られるだけだ。でも、それでいいのだ。むしろそうでなければならない。それが純粋さの証なのだ。こんなわけで、経済学のような本来俗っぽい学問が数学という純粋な学問と結びついてしまうことに対する漠然とした違和感・嫌悪感が、たしかに僕の中には存在している。それが経済学部における数学教育に対する僕の考え方を多少ひねくれたものにしているのかもしれない。
- 作者: 小川洋子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/08/28
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評価:★★★★☆
*1:35万部を突破し映画化も決定。http://www.eigaseikatu.com/news/10916/15545/