乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

広田照幸『教育不信と教育依存の時代』

広田照幸(東京大学大学院教育学研究科助教授、教育社会学・社会史専攻)さんは僕が最近もっとも注目・期待している研究者の一人だ。衒学趣味に走らない明快な論理と文体。それでいて彼の教育論は常に啓発的で挑戦的だ。しかもそれが地味な歴史研究に支えられている点が、経済学部に在籍しながら歴史を専攻する僕には、いっそう魅力的に映っている。彼の歴史研究は現代の諸問題を正しく捉えるための視座を提供してくれる。現代を知るための歴史学であり、僕が求めている歴史学だ。

僕も教師の端くれとして悩める日々を送っているから、教育に関してそれ相当の自分の意見を持っている。一言で言えば、僕は社会全体の機会や財の〈配分〉を重視するリベラルな教育観の信奉者へと傾いているのだが、そのような僕の教育観は彼のそれにぴったり重なっている。僕自身の理解が曖昧ではっきりと言語化できなかった事象まで、彼は適格な言葉で明快に表現してくれる。「そうだよ、僕が言いたかったのは、まさにそれなんだよ」と彼の著作を読みながらいつも心の中で喝采の声をあげてしまうのだ。

そんな広田さんの仕事に僕はすっかり惚れ込んでいる。秋学期に新規担当する特殊講義でも、彼の前著『教育』をテキストに指定している。半期のあいだ彼の著作とじっくりつきあって、彼の思考から少しでも多くを吸収したいと思い、選んだわけだ。

さて、本書であるが、著者が様々な機会に行ってきた講演や学会発表の原稿を加筆・修正の上まとめたものである。話し口調なのでたいへん読みやすい。著者の教育学のエッセンスを知る上で最良の一冊と言える。著者の議論の方法は、教育学という専門領域だけに留まらない普遍性・応用可能性を備えている。問いを問いなおす、問題それ自体の存立根拠をメタレベルで問いなおす、という方法だ。「AかBか?賛成か反対か?そういう単純な二者択一式の問題の建て方で正しいのか?隠された前提、思い込みがないのか?」と問うわけだ。著者は様々な歴史的資料・統計資料を駆使して、その前提の虚偽性を白日にさらす。それは結果的に(マスコミが流布した)俗説に対する批判という形をとるが、実はこれは僕が経済学説史の講義で採用している方法でもある。

1960年代のことですが、ある私立中学の子供が、たまたま彼の家を訪問した近所のきれいなおばさんを殺して、全裸にして押入れに隠しておいたのが見つかって、つかまった、という事件がありました。もしこんな事件が現在起きたら、きっとTVも新聞も雑誌も、この事件で一色になるでしょうね。年配の人も皆さん、知らないですよね、こんな事件。大したニュースにならなかったんですよ。1960年代には。その後、子供に対する親の関心が高まって、『子どもがしでかす事件』に大人たちが非常に敏感になってきた。だから、青少年の問題が年々深刻の一途をたどっているかのようなイメージを持つようになってきている――そういう側面があるということです。(pp.50-1)

・・・マス・メディアなどで「青少年は凶悪化してきた」とか「凶悪な非行が激増している」とよく言われたりするけれども、本当にそうなのか・・・統計的にみると、今の青少年は昔よりはるかに凶悪事件を起こさなくなっている。・・・青少年の凶悪化論というのは、ある意味でマス・メディアが作り出した虚像だと言えます。そうすると、青少年が凶悪化しているから改革が必要だという議論は、そのスタートのところで、もうすでにこけています。
そういう「俗説」や「思い込み」に振り回された議論はいろいろあります。別の例でいうと、「家庭の教育力が低下している」という議論があります。本当かどうか調べてみたら、そんなことはないですね。今ほど親が熱心にわが子を教育している時代はありません。
要するに現状認識のところで、まずいろいろ問題がありうるわけです。「問題」と思っている人たちが抱いているイメージが、本当に「現実」を反映したものなのかそうか、疑ってみる必要があります。いくつかの議論は、まず「とにかく現状を変えなくちゃ」という出発点のところで、まず間違えている可能性がある。(p.85)

青少年は「凶悪化していない」し、家庭の教育力は「低下していない」。日本の治安は「悪化していない」。日本の学校は他の先進諸国に比べて「うまくやってきている」。ごく一部にダメ教師はいるものの、日本の学校の先生の質は概して「高い」。我々はマス・メディアが作り出した「教育の荒廃」イメージに騙されてはならない。著者の主張はクリアそのものだ。

また、教育改革の功罪を考える上で、〈機能〉という視点を導入すべき、という著者の主張(p.103以下)は、本書では最大の「目からウロコ」であった。学校の〈社会化〉機能と〈配分〉機能については、前著『教育』でも論じられていたが、本書に紹介されている具体例のおかげで、いっそう深く理解できた。「教育改革の一番のジレンマは、社会化問題に目を向けた改革が配分の領域で逆機能を生じる、という問題である」(p.117)。この認識は本当に大切だと思う。「意図しない逆効果」への着目は、教育政策に限らず、あらゆる政策を評価する上で必須の視点だ。

教育改革はグローバリゼーションとも密接な関係を有しているが、その点に関する叙述も明快だ。だから経済学部生であっても読む価値は十分にあるし、むしろ積極的に読んでもらいたい。

教育不信と教育依存の時代

教育不信と教育依存の時代

評価:★★★★★