乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

丹羽宇一郎・伊丹敬之『まずは社長がやめなさい』

伊藤忠商事社長(当時)と気鋭の経営学者との熱血(毒舌?憂国?愛国?)対談。*1丁々発止、融通無碍な対談の内容を限られたスペースにまとめることは難しいが、あえて大胆にまとめるならば、二つの重心を指摘できる。

一つはリーダー(エリート、考えるコア)の発掘・育成の問題である。

日本経済はどうしてダメになったのか?第一の理由は、リーダーの質が低下したからである。リーダーが部下に「夢」「目標」を語らなくなった。部下と「感動」「喜び」を共有しなくなった。小さな幸せに安住して「挑戦」する「気力」、「決断」する「勇気」を喪失してしまった。そのようなリーダーに部下が幻滅し仕事への意欲を低下させてしまうのは自明の理である。最初の上司二人で新人の育ち方は決まってしまうのだ。

丹羽 組織なんかいじってもたいしたことはないんだ。問題はそれを動かしている人間の心を変えることであり、人間のそういう行動を変えることなのだ・・・。ありがとう、と言われたら、誰かが私を評価してくれていると感じる。やはり喜びなのです。(pp.104-5, p.204)

丹羽は百人近い部長と「一人一人、一時間ずつ対話」(p.104)することによって、「夢を語ること」「目標を明確にすること」の重要性を具体的に教え込むとのこと。伊藤忠のエリート教育システム=「隠しレッテル貼り」(p.108以下)は衝撃的だ。

丹羽は「エリートの条件」を第4章で詳細に語っているが、学歴(出身大学やMBA)よりも倫理的な誠実さと知的経験の豊富さを強調していることが、たいへん印象深い。ここで言う知的経験とは、学生運動の経験でも読書の経験でもかまわないのだが(p.133, 243)、未知・不測の事態に直面した時に行動の指針を与えてくれるような知的な枠組みを指す。丹羽はロマン・ロラン『魅せられたる魂』と阿部次郎『三太郎の日記』の二冊を挙げているが、本を読むことの最大の効用はまさしくこの点に存する。あらためて痛感した次第だ。

対談のもう一つの重心は、会社は誰のものか、という問いである。丹羽は立場上明言は避けているが、両者の見解は基本的に一致しているようである。

丹羽 ・・・アメリカの株主重視についてはもっとじっくり話し合わないと、底の浅い議論で終わってしまう危険があります。
伊丹 僕もそう思いますよ。・・・企業の競争力の源泉・・・それは株主が出した金なんですか、それとも長い間働いている色んな知恵を出している従業員ですか、と考えればそれは圧倒的に後者ですよ。金さえあれば競争力がつくんだったら、バブル期の日本なんて世界を席捲できましたよ(笑)。
やはり知恵とエネルギーの方なのです。だったらその人たちが、コーポレートガバナンスの中心になるようなガバナンスにしておかないとダメなんだけれど、現行の法的体系としてのガバナンスは、極めて根本的な欠陥を持っているんです。本来は、スペキュレーションの人も多くいると思われている株主だけ権利が与えられていて、従業員には一切権利がないというのはおかしい。(pp.149-50)

伊丹 株主重視には二つ意味があるんです。一つは、これまでよりは重視しましょう(笑)。もう一つは、株主と従業員を企業の二つの構成者として考える。・・・それでこの二つの中で、どっちを重視するかという時に、株主一位、従業員二位と順位をつけるのがもう一つの株主重視です。第二の意味の株主重視は僕は大反対ですけれど、第一の意味なら、賛成なんです。(p.155)

アメリカ流の株主重視経営*2は間違っている。アメリカ的経営と日本的経営は本質的に異なる。「組織内の濃密なコミュニケーションをもつ日本の組織の優位性」(p.240)を忘れて、安易にアメリカ型モデルの模倣に走ることは自滅行為でしかない。従業員重視の経営を貫くべきだ。

丹羽 企業の社会への貢献には雇用の確保という意味もあるのです。だから産業がどんどん発達して新しいビジネスチャンスがある時は、その企業から出たい人や出ていってもらいたい人には出てもらわなければならないわけです。しかし景気の沈滞時は歯を食いしばって雇用を確保していくこと、それはやはり経営者としての責任です。(p.180)

以上、本書の概要を紹介してきたが*3、僕としては両者の発言に何ら異論がなく、「よくぞここまで言ってくれた」と拍手喝采するばかりであった。「卓越したリーダーを育成する必要性」は、ともすれば「人事評価における競争原理の強化の必要性」へ、さらには「成果主義(目標管理制度)の導入・強化の必要性」を正当化する論理へと転用されやすいが、丹羽が「人は金銭的報酬よりも感動や達成感を求めて働く」と明言している以上(p.80)、こうした論理の転用は決して認められないだろう。この点に関しては、高橋伸夫が前々から雄弁に論じているところであるし、僕自身も強くそう思っている。

最後に痛快な一言で今日のノートを締めよう。

丹羽 この間、司法改革の講演会に呼ばれて・・・七、八十歳になる会長、理事長、委員長と称する学会のお歴々こそ全員辞めなさい。そうすれば改革は急スピードで進みます。一番いいのはあなた方が辞めることです、と言ったのです。七、八十歳で改革が出来ると思いますか。(pp.54-5)

総合商社志望者は必読。

評価:★★★★★

まずは社長がやめなさい (文春文庫)

まずは社長がやめなさい (文春文庫)

*1:対談収録日は2000年12月24日。

*2:それは時価総額経営を正当化する論理へと容易に転用されうる。ライブドア社長の堀江貴文氏によれば、「株価を上昇させて株主に報いることが、株式会社の使命」とのことだが・・・。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060123-00000115-yom-soci

*3:刺激的な発言は他にもたくさんあった。丹羽はユニクロが「これからの企業の姿だとはいえません」(p.215)と明言している。伊丹は、株式所有と「経営権力の正当性」との関連の歴史的起源を、近世イギリスにおける土地所有と政治権力との密接な関連性によって(水谷三公の研究を援用して)説明している(pp.249-52)。とりわけ後者は僕自身がもっと深く掘り下げてみたいテーマだ。