乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

鈴木敏文・齋藤孝『ビジネス革新の極意』

我が国の流通業界の頂点に君臨する敏腕経営者と、ベストセラー『声に出して読みたい日本語』の著者である異能の国語教育学者との対談。意外な組み合わせに、否が応でも期待は高まる。

対談は大成功だったと評価できる。二人の著書をすでに何冊も読破している人にとっては、既知の内容ばかりでつまらなく思えるかもしれないが、そこで思考を停止させないで欲しい。「どうしてまったく畑違いの二人の話がうまく噛み合うのか?」というメタレベルの問いを考えてみることで、本書の理解がいっそう深まるはずだ。

「仮説と検証」「心理学経営」は鈴木さんの経営哲学の代名詞として有名だが、齋藤さんのコミュニケーション理論のコア概念である「(相手の経験世界と自分の経験世界を絡み合わせる)文脈力」「響く(レスポンスする)身体」などは、それらを理論的に補完する(より正確には下支えする)関係にある。「文脈力」と「響く身体」に支えられた良質なコミュニケーションが、「暗黙知」を「形式知」へと転化させ、革新的なアイディアを生み出す、という一連のプロセスの重要性を、両者ともが明確に認識している。

齋藤:特にビジネスの現場での対話の狙いは、言葉では言い表せないけれども直感的・身体的に体得した知識である「暗黙知」をお互いに引き出して、きちっとした形で表現できる「形式知」に変えていくことにあると思います。具体的なアイディアを出していかなければ、それはビジネスとしての対話が成り立ったとはいえません。(p.33)

学校の教室の活気のなさと会社の会議の非生産性は根本的には同一の現象である。裏を返せば、「生きる力」――それは「コミュニケーション力」であり、その具体的内実は「コメント力(要約力)」「段取り力」「まねる盗む力」である*1――はそのまま「仕事力」につながっている。

齋藤:身体が変わる場の作り方というものがあって、一旦そのような雰囲気を作ってしまえば、みんなすごく積極的になります。
鈴木:日本の教室は活気がないというか、おとなし過ぎるのかもしれませんね。会社の会議でもまるでコミュニケーションができる場になっていないことが多いですね。皆が持っているアイディアをフランクに出し合える雰囲気作りができると、かなり会社も変われるのではないでしょうか。
齋藤:日本の会議は相変わらず報告中心で、会議そのものがアイディアを生み出す場になっていません。・・・会議に必要なのはお互いの暗黙知を引きずり出す、人と人とのコミュニケーションを作ることです。(pp.72-4)

鈴木さんは社員とのフェイス・トゥ・フェイスのダイレクト・コミュニケーションに徹底したこだわりを示している(pp.19-20)。同様のこだわりは伊藤忠商事丹羽宇一郎さんにも見られるが*2、特筆すべきは、鈴木さんがそのために年間10億円以上のコストも厭わないことだ。質の高いコミュニケーションを会社の資産(知的資産)と考え、その維持・発展のために「投資」しているわけである。

コンビニのフランチャイズ・システムは、もともとは、「大型店舗と小規模店舗は共存共栄できる」という仮説を検証するために、鈴木さんが考案した(p.15)とのこと。この事実は初耳だった。その他にも興味深いエピソードが満載されている。「売れ筋」「死に筋」は売れた個数ではわからない(pp.78-9)。発注の際には翌日の天気に気を配らねばならないpp.82-3)。カツオのシーズンに魚売り場でカツオを並べる場合、20匹置く場合よりも100匹置く場合のほうが早く売り切れる(pp.86-8)。1万8千円の羽毛布団と3万8千円の不毛布団の2種類が店頭に並べられている場合、3万8千円の羽毛布団はあまり売れないが、そこに5万8千円の羽毛布団を追加すると、3万8千円の羽毛布団の売れゆきがよくなる(pp.104-6)。

齋藤さんの著作には、これまでかなり親しんできたが*3、対談である本書においては、彼の教育観の本音がより直截な言葉で表明されている。彼の「身体を基盤にして日本の教育を立て直したい」(p.55)という強い熱意には大いに共感するのだが、型や反復の重視が過剰であるようにも思える。彼は「私は、英語の読み書きや会話の力は基本的に英単語力にあると考えています。・・・英単語を大量に記憶させるというのは、英語の授業の中心であるべきです」(pp.67-8)と言い、「「百マス計算」は確実に実力がつく」(p.182)とまで言う。しかし、後者に対しては次のような強力な反論も存在する。齋藤さんは何と反論するのだろうか?

ドリル学習の普及は「学力低下」を解決するでしょうか。私は解決しないと思います。なぜなら、IEA調査やPISA調査や文部科学省の調査において明らかなように、日本の子ども学力で低下しているのは、「計算」や「漢字の書き取り」のような「基礎技能」の領域ではなく、「推論的能力」や「科学的思考力」や「創造的思考力」や「表現力」などの高次の知的領域だからです。復古的なドリル学習の領域は、今や学校カリキュラムのほんの一部でしかありません。それにもかかわらずドリル学習が普及してしまうのは、教師たちが世論や親の不安に追い詰められているからです。*4

鈴木氏が中央大学の理事長を兼任していることもあり、大学論にも一章が割り当てられている。大学関係者の大半からは「法人サイドに寄り過ぎ!」との反発が必至だろうが、一読の価値はある。いかにして大学は「社会に求められる人間を輩出」(p.154)してゆくのか? 「大学生が卒業してどこに行くかといえば、大多数は一般企業に就職する」(p.154)わけだから、小中高の教員ばかりでなく大学教員も、教室で教授する内容と実社会で要求される(コミュニケーション)能力とをリンクさせることにもう少し自覚的になるべきだろう。

本当ならば、五つ星をつけたいが、まだまだ読み足りない。この倍くらいの長さで読みたかった。そのぶん星一つ減。それにしても、最近の齋藤さんは本を書き(作り)すぎのような気がする。エンデ『モモ (岩波少年文庫(127))』の登場人物「観光ガイドのジジ」のようにならなければいいのだが。

ビジネス革新の極意

ビジネス革新の極意

評価:★★★★☆