乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』

漫画家・西原理恵子さんが自らの半生を「お金」についての思索とともに綴ったエッセイ。中高生向け新書「よりみちパン!セ」シリーズの一冊として公刊された。*1

高知県の貧しい漁師町に生まれ、複雑な家庭事情のもとで育った著者は、高校中退後、大好きな絵で生きていくことを決意して、単身上京する。美大で落ちこぼれてしまうが、持ち前のバイタリティを発揮して、エロ本のカット描きの仕事を手に入れる。それをきっかけとして、少しずつ能力を認められるようになり、一歩一歩着実にキャリアを積み重ねて、漫画家としての成功を手に入れる。しかし、成功によって手に入れたお金の多くを、ギャンブルにのめりこんだことで失ってしまう。お金を通して見えてきた、自分と仕事、自分と他者、自分と世界、自分と家族・・・・。

どこか切なく、それでいて生きていくことへの勇気を与えてくれる一冊。すべての若者に読んでもらいたい。

自分は絶対に絵を描く人になって東京で食べていく。そう心に決めた。
この町には、もう、絶対に帰らない。
こんなたいへんなときなのに、お母さんは「行きなさい」って、わたしに言ってくれたんだもん。絶対に帰れない。
わたしの歩きだした道は、だから引き返せない一本道だった。(p.75)

最下位の人間に、勝ち目なんかないって思う?
そんなの最初っから「負け組」だって。
だとしたら、それはトップの人間に勝とうと思っているからだよ。目先の順位に目がくらんで、戦う相手をまちがえちゃあ、いけない。
そもそも、わたしの目標は「トップになること」じゃないし、そんなものハナからなれるわけがない。じゃあ、これだけは譲れない、いちばん大切な目標は何か。
「この東京で、絵を書いて食べていくこと」。
だとしたら肝心なのは、トップと自分の順位をくらべて卑屈になることじゃない。
最下位なわたしの絵でも、使ってくれるところを探さなくちゃ。最下位の人間には、最下位の戦い方がある!(pp.84-5)

「どうしたら夢がかなうか?」って考えると、ぜんぶを諦めてしまいそうになるけど、そうじゃなくって、「どうしたらそれで稼げるか?」って考えてごらん。
そうすると、必ず、次の一手が見えてくるものなんだよ。
数えきれないほどの出版社に必死で売り込みをかけるうちに、わたしも、そのことを学んだと思う。
・・・。
だいたい、そういう自分の才能に自信のある子たちって、プライドだって高いからね。エロ本の出版社になんか、絶対に売り込みに行くわけないもん・・・。
だけどね、最下位のわたしのチャンスは、そういう絵のうまい人たちが絶対に行かないようなところにこそ、あったんだよ。
プライドで、メシが食えますかっていうの!
わたしに言わせるなら、プライドなんてもんはね、一銭にもならないよ。(pp.93-6)

才能なんて、だから天賦のものではなくて、ほとんどあとからもらったものだと思う。
わたしだって、最初は自分に何ができるかなんて、ぜんぜんわかっちゃいなかった。
だいたい東京に出てきたときに、まさか自分がエロ本で「オンナのアソコはこう攻めろ!」なんていうテーマで図解を描くようになるなんて、夢にも思わないもんね。
おんなじ業界でもいろんな仕事があるから、来る仕事、来る仕事が、ほとんど「想定外」みたいなもの。
でも、自分がそれをできるかどうかなんて、やってみないとわからないよね。だから、来る仕事は、わたしは断らなかった。場数を踏んでいるうちに慣れてくるし、自分の得意、不得意だってわかってくる。
・・・。
何でも仕事をはじめたら、「どうしてもこれじゃなきゃ」って粘るだけじゃなくて、人がみつけてくれた自分の「良さ」を信じて、その波に乗ってみたらいい。
わたしの場合も、人から「あれ描いて」「これ描いて」って注文されて、断らずにやっているうちに「このあいだのアレ、おもしろかったよ」「こういうのをまたやりましょう」って、ウケるほうに、食べていけるほうに、仕事が寄っていった。そうなると、ひとつの仕事が次の仕事を呼んで、仕事の道ができていく。
だから私は思うのよ。
「才能」って、人から教えられるもんだって。(pp.106-9)

それでも、もし「仕事」や「働くこと」に対するイメージがぼんやりするようならば、「人に喜ばれる」という視点で考えるといいんじゃないかな。・・・。
人が喜んでくれる仕事っていうのは長持ちするんだよ。いくら高いお金をもらっても、そういう喜びがないと、どんな仕事であれ、なかなかつづくものじゃない。
自分にとっても向き不向きみたいな視点だけじゃなくって、そういう、他人にとって自分の仕事はどういう意味を持つのかって視点も、持つことができたらいいよね。
自分が稼いだこの「カネ」は、誰かに喜んでもらえたことの報酬なんだ。(pp.198-9)

本書で西原さんが展開している「仕事」や「競争」についての思索は、僕も執筆に加わっている佐藤方宣編『ビジネス倫理の論じ方』(特にその第3・4章)と不思議なくらい符合している。あわせて読んでいただけると幸いである。

ともすれば労苦となりがちな労働を喜悦に変える環境要因は・・・その労働を通じて自分が他者とどれほど豊かな関係を結んでいるかの自覚なのである。(『ビジネス倫理の論じ方』第3章)

競争とは一つのものをめぐって争っているわけではない。・・・競争とは非常に多様なものであり、人々は一つの競争で負けたとしても、その場所を「降りる」ことによって、別の競争に移ることができる・・・。(『ビジネス倫理の論じ方』第4章)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

評価:★★★★★

*1:このエントリの日付は2010年6月だが、実際に書いているのは2011年2月で。この半年間に本書の版元である理論社は経営破綻してしまった。http://www.cinra.net/news/2010/10/06/205205.php このニュースでも触れられているが、「よりみちパン!セ」話題性に富む良書ぞろいで、好評を博したシリーズだったので、本当に残念である。