乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

ミル『自由論』

思想史上に燦然と輝く不滅の大古典(原著1859年)の新訳。岩波文庫の訳文(塩尻・木村訳)と比較して、岩波側に軍配をあげる読者はほとんどいないのではないか? そう思えるくらいに、この新しい訳文は流麗で親しみやすい。

本書に表明されている自由観のうち、今日においても最も有名で広く支持されているのは、「他者危害[防止/排除/禁止]原則」として知られる自由観であろう。その原則は、著者ジョン・スチュアート・ミル(1806-73)自身の言葉で、以下のように表明されている。

この小論の目的は、じつに単純な原則を主張することにある。社会が個人に対して強制と管理という形で干渉するとき、そのために用いる手段が法律による刑罰という物理的な力であっても、世論による社会的な強制で会っても、その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することにあるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正しいといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただひとつ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである。本人にとって物理的にあるいは精神的に良いことだという点は、干渉が正当だとする十分な理由にはならない。ある行動を強制するか、ある行動を控えるよう強制するとき、本人にとって良いことだから、本人が幸福になれるから、さらには、強制する側からみてそれが賢明か、正しいことだからという点は正当な理由にならない。これらの点は、忠告するか、説き伏せるか、説得するか、懇願する理由にはなるが、強制する理由にはならないし、応じなかった場合に処罰を与える理由にはならない。強制や処罰が正当だといえるには、抑止しようとしている行動が誰か他人に危害を与えるものだといえなければならない。個人の行動のうち、社会に対して責任を負わなければならないのは、他人に関係する部分だけである。本人だけに関係する部分については、各人は当然の権利として、絶対的な自主独立を維持できる。自分自身に対して、自分の身体と心に対して、人はみな主権をもっているのである。(pp.27-8)

どうやらこの原則こそが、ミルトン・フリードマンの経済思想・社会哲学に基本的枠組みを与えたようだ。ラニー・エーベンシュタイン『最強の経済学者 ミルトン・フリードマン』によれば、彼はラトガーズ大学の

・・・1年か2年のとき、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を読み、リバタリアニズム自由至上主義)の思想にふれる。「『自由論』には、リバタリアニズムの基本原則がもっとも簡明に示されている。『文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただひとつ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである』」(pp.28-9)

知的好奇心が旺盛なフリードマンは、ラトガーズ大学時代にジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を読み、他人に迷惑をかけない限り、個人はなんでも好きなことをできるというリバタリアニズム自由至上主義)の根本理念に感動するが、そうしたものの考え方が具体的な政策提言に結びつくには、長い時間がかかった。(p.52)

しかし、若きフリードマンが『自由論』をいかに愛読していたとしても、彼の理解が『自由論』の唯一絶対の理解であるわけがない。古典的著作の豊饒な思想世界は、問題関心の異なる読者を、読書のたびごとに異なった種類の深遠な思索へと導いていく。それは、古典が古典であるゆえんとして、当然のことである。実際、僕は「他者危害原則」以外の叙述のほうにより強く印象づけられた。

「他者危害原則」をそのまま真に受ければ、自らの境遇を悪化させるような愚かな行為を行う権利も各人に認めなければならなくなるが、果たして本当にそうだろうか? もしそうであれば、なぜ画一化の趨勢に抗うこと、個性を尊重し発展させることが、かくも力強く主張されているのだろうか? 「みんなと同じでいいじゃない。そうする自由を私は選びたい」という意見をどのように考えればよいのか? さらには、先の原則を現実の諸問題に適用しようとする場合、「毒物の販売の是非」や「親の子どもに対する責任」といった問題をどのように考えればよいのだろうか?

理解が一段階深まると、さらなる新たな疑問に漂着する。そのような粘り強い思索をミルと一緒に続けるうちに、日常の「あたりまえ」がいつの間にか「あたりまえ」でなくなっている。読書の醍醐味を堪能させてくれる。やはり紛うことなき不滅の大古典である。

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

評価:★★★★★