乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

岩崎夏海『もしも高校野球の女子マネージャードラッカーの『マネジメント』を読んだら』

今では知らない人がいないであろう100万部突破のベストセラー。8期(4回生)ゼミのテキストとして選んだ時点では、まさかここまでの大ヒットになるとは想像だにしなかった。

その内容は、タイトルから予想できるように、高校野球の女子マネージャーがたまたま経営学ピーター・ドラッカーの『マネジメント』と出会い、そこに書かれている「マネジャー」という存在を自分のことだと勘違いして、本の通りに野球部のマネジメントを進めるうちに、野球部がどんどん強くなり、最後には甲子園出場を果たしてしまう、という筋書きの青春小説である。著者は秋元康の弟子にあたる放送作家で、本書がデビュー作にあたる。

本書のすべてがnakcazawaゼミのコンセプトに合致している気がする。「過去の偉大な学説を現実の生活に応用するとどうなるか?」という発想自体がnakcazawaゼミらしい。また、ゼミのテーマとして「あたりまえを問いなおす」を掲げているわけだが、「あとがき」の著者の言葉は、まさにその「問いなおし」の格好の例である。ゼミ生には著者が抱いたような素朴な疑問を大切にしてもらいたい。

それ以前から、ぼくは「マネジャー(あるいはマネージャー)」という言葉については、とても気になるところがあった。というのも、日本と欧米とでは、その意味するところに大きな違いがあったからだ。
例えば、アメリカ大リーグで「マネジャー」といえば、それは「監督」のことを指す。しかし日本では、真っ先に思い浮かぶのは「高校野球の女子マネージャー」だ。しかもそこには、「スコアをつけたり後片づけをする」といった、下働き的なニュアンスさえ含まれている。つまり、英語圏のそれとは、責任や役割において、指し示すものに大きな違いがあるのだ。(pp.269-70)

個人的にいちばん興味深く読んだのは、第6章「みなみはイノベーションに取り組んだ」に出てくる「組織の最適規模」の話である。実は僕はこのトピックについてかつて論考を発表したことがある(「組織と仕事:誰のために働くのか?」、佐藤方宣編『ビジネス倫理の論じ方』ナカニシヤ出版、所収)。組織が目指すべきは規模は、「最大」ではなく「最適」であり、それを実現するためには「勇気、真摯さ、熟慮、行動」が必要である、とのこと。何とも含蓄が深い。

「真摯さ」はこの青春小説のキーワードである。最後の最後に「どんでん返し」が待ち受けているが、それを知る楽しみは読み手の側に残しておきたい。

もし一般読者向けの本を自由に書く機会が僕に与えられたとすれば、無味乾燥な教科書などではなく、本書のような潤いあふれる作品を書きたいものだ(書けるだけの能力があるかどうかは別にして)。

評価:★★★★☆