乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

橘木俊詔『格差社会』

格差問題の第一人者による啓蒙的な入門書。4期ゼミと森岡ゼミとの対抗ゼミ(2006年12月、共通テーマ「格差社会」)の準備の過程で読んだ。昨年11月に一度通読しているのだが、その時は多忙にかまけて「乱読ノート」へのアップを怠った。このたび改めて通読し本日ようやくアップするにいたった。

著者の主張をまとめておこう。

格差は見かけにすぎない、という内閣府の見解は誤りである。実際に格差は拡大しているし、貧困は深刻さを増している。貧困者が増加し、かつその人々の所得の低下が深刻化している。

(再分配後の)所得の格差は1980年代から拡大し続けている。それには所得分配システムの変容、とりわけ所得税の累進度の緩和が大きく影響している。

構造改革は格差拡大の根本原因ではないが、格差拡大を助長している。経済効率を高めることが社会全体の豊かにするという構造改革の理想は幻想にすぎない。経済効率のためには格差拡大はやむをえないという主張は詭弁である。実証研究によれば、税金の高低は勤労意欲(労働供給)や貯蓄意欲と関係がない。

「小さい政府」が声高に主張されているが、構造改革以前から日本は他の先進諸国と比べて十分に小さい政府である。税負担率、雇用関連支出、公的教育支出、社会保障給付のすべてにおいて、日本は先進国で最低レベルである。財政赤字額の大きさを考慮すれば、無駄な公共支出を減らすことは確かに重要であるが、福祉や教育への支出をカットしてセーフティネットを縮小させることには賛成できない。下げすぎた所得税の累進度を元に戻すことによって、格差拡大の是正を目指すべきである。また、基礎年金の財源の全額を累進消費税の導入によって賄う年金改革を行うべきである。

以上が(僕が理解した範囲内での)本書の概要である。

口述筆記なのかもしれないが、たいへん読みやすい。一日で十分に通読可能である。クール・ヘッドとウォーム・ハートを併せ持った著者の主張の大部分に僕は強く同意する。*1いちばん印象に残ったのは、以下に引用する著者の教育に関する発言である。

・・・私は、以前、フリーターの人たちがどういう高校教育を受けているかに関心を持って調べたことがあります。その結果は、普通科の中でも進学校でないような学校の出身者が、フリーターとなっている例が多いのです。・・・。
・・・大学に進学するわけでもない、かといって、社会ですぐに役立てるような技能もない。そうした若者が、ニートやフリーターになるのは、ある意味で当然の流れでもあるのです。・・・かつては、企業が職業訓練を行っていましたが、もう企業にはそういう余裕はないのです。したがって、教育の中に職業訓練的な要素を導入する必要があると私は考えます。
・・・。
ここでは主として高等学校レベルを述べましたが、似たことは大学教育でもあてはまります。大学教育においてもう少し社会に出てから役立つ専門科目、あるいは実務教育の充実が必要です。昔のように社会のエリートを育てるような大学教育を準備するのではなく、大学教育が大衆化した現代においては、職業教育をもっと充実させる必要があると考えられます。(pp.182-3)

このような発言が(社会のエリートを育てるような大学教育に傾斜することが許される)京都大学の教授によってなされたことは非常に大きな意味があるように思う。我が母校の教授であるが、残念ながら僕は直接に教えを受ける機会に恵まれなかった。今となってはすごく残念だ。橘木教授と東京大学高橋伸夫教授とは世界観(弱者への眼差し)が似ている気がする。小樽商科大学(お二人の出身大学)の学風なのだろうか?

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

評価:★★★★☆

*1:もっとも100%同意するわけではない。例えば、同一労働・同一賃金の考え方(p.162)には無理があり肯首しがたい。