乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

養老孟司『超バカの壁』

ベストセラー『バカの壁』の続編だが、あまりに面白くて一気に(3時間ほどで)読み終えてしまった。書かれていることの大半にすんなり共感できるのだ。ところが「乱読ノート」を調べてみて驚いた。『バカの壁』は2003年8月に読んだらしいのだが、僕の評価はきわめて低かった。*1読後感が180度反対だ。なぜ!?

一元論的なものの考え方(見方)への異議申し立てという基本スタンスは、『バカの壁』と共通しているのだが、『バカの壁』とは違って口述筆記をもとにしてできあがった著作であるせいか、飛び出してくる具体例が男女関係や親子関係などやけに身近で生々しいものばかり。そのおかげで著者のホンネをいっそうクリアに理解できた気がする。「恋愛もテロ」(p.56)ときっぱり言われると、苦笑いするしかない。いちばん強烈な印象を残したのはこの部分。

夫婦関係においても、大概のことは奥さんのいうとおりにしても何の問題もありません。そのほうがうまくいくのです。男の沽券などということを問題にする必要はない。そこで「男の沽券が」というのは、オンリーワンを声高に主張するのと似ています。
そういう人は外側に何か勝手に自分で壁を作っているのです。それが自分だとか無理やり主張しているわけですから疲れる。それは長い間もたない。
自分の中のこだわりというか、決め事がものすごく多い人というのはそういう人です。・・・。
もっと自由でもいいのではないか。そう思うのですが、なぜか人は仕切りたがるのです。(p.34)

「都市の人間は、物事を人のせいにしなくてはおさまらないものなのです」(p.128, 137)、「結果はものさし次第」(p.161)といった主張にも大いに納得させられた。*2

もっとも、僕の本書への高評価の原因を本書の成り立ち(口述筆記)に一元論的に(笑)求めることは正しくないだろう。おそらくそれ以上に僕自身が変わった(変わりつつある)のだろう。どうやら4年半の間に僕の思考(人間関係観)は深いところで変化して、ずいぶんと養老さん寄りになってきているようだ。「寄り」なんて書くと、そういう思考を実践できているみたいだから、おこがましい。「こんなふうに自由に柔軟に思考できたらいいな」という憧れの対象になりつつある、と書くほうが正確だろうな。

超バカの壁 (新潮新書 (149))

超バカの壁 (新潮新書 (149))

評価:★★★★★

*1:http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nakazawa/reading2003.htm

*2:本書のいたるところで開陳されている仕事観も啓発力に満ちているので、現役の大学生の皆さんにも積極的に読んでもらいたい。