乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

クリストファー・ヒル『ノルマンの軛』

18世紀後半に活躍した急進主義者トマス・ペインに関する論考を書くことになり、参考文献を探しているうちに、長年本棚で眠っていたままになっていた本書をたまたま見つけ、読み始めた。本書は20世紀英国を代表するマルクス主義歴史家(1912-2003)が1954年に発表(大幅な加筆修正を施して58年に再発表)した比較的長大な論文“The Norman’s Yoke”の邦訳である。

一般的に言って*1、18世紀後半イギリスの急進主義者は、彼らが直面してた政治・経済・社会的諸問題の根本原因を議会の弱体化(国王への従属)に求め、これらを議会改革運動の推進によって解決しようとした。運動を推進するにあたって彼らが依拠していた思想的伝統は大きく二つに分けられる。一つは、理性や良心といった抽象的・哲学的根拠への訴えかけに重きを置く、「自然権」理論および「社会契約」理論の伝統(ジョン・ロックやペインがその代表的な思想家)であり、もう一つは歴史(と言うよりは伝説・神話)への訴えに重きをおく、「古来の国制」理論の伝統である。本書はそれまで前者に比べて軽視されがちだった後者の伝統に本格的に鍬を入れた画期的研究である。

後者の伝統によれば、アングロ=サクソン時代のイングランド人は自由で平等な市民として生活していた。主権は人民のもとにあり、国王は人民の利益を尊重する善良な統治を行ってきた(名君としてアルフレッド大王の名がしばしば言及される)。人民の財産は恣意的な課税を免れていた。しかし、ノルマン人の征服(1066)とともに、自由で平等な社会は失われ、専制的支配が持ち込まれた。これがいわゆる「ノルマンの軛」である。人民は失われた自由を忘れず、それを取り戻そうと専制的支配に絶えず戦いを挑み、時には「マグナ・カルタ」のような譲歩を引き出すことにも成功したが、名誉革命(1688-9)によってもその自由は完全に回復されていない。したがって、議会改革運動はイングランド社会を本来の健全な姿へと復帰させるための闘争の一環であるのだ、と。

著者は、この「ノルマンの軛」という観念を用いて、ピューリタン革命(1640-60)の駆動力が宗教的なものではなく政治・経済的なものであることを明らかにしようとする。発表から50年以上の歳月が流れた今日、検討の俎上に乗せられるべき論点も多いが、繰り返し参照されるに値する名論文である事実に変わりはない。*2

なお、「ノルマンの軛」に関するより簡便なガイドとして、井野瀬久美恵編『イギリス文化史入門』の第6章に所収されている小関隆「「自由に生まれついた」人びと――政治と民衆――」があるので、併せて紹介しておきたい。

ノルマンの軛 (1960年) (社会科学ゼミナール)

ノルマンの軛 (1960年) (社会科学ゼミナール)

評価:★★★★☆

*1:詳しくはディキンスン『自由と所有―英国の自由な国制はいかにして創出されたか (叢書 フロネーシス)』などを参照して欲しい。

*2:バークの『イギリス史略』への短いながらも貴重な言及(p.121)もあり、『フランス革命省察』に示されている歴史観との異同という興味深い問題が提起されている。