乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

橋本治『宗教なんかこわくない!』

4期生O君が、後期のゼミは「宗教」をテーマにやってみたい、と言っている。テキストに使えそうないい本はないものか、と書店を物色中にたまたま見つけたのが本書だ。オウム真理教事件を素材に日本人にとっての宗教の意味、とりわけ「なぜ日本人は宗教を恐れるようになってしまったのか?」という問題を様々な角度(なぜか007の映画の話まで登場)から論じている。

一回目に読んだとき、著者が何を言いたいのか、僕はほとんど理解できなかった。読者を煙に巻くようなくねくねした文章。話題がころころ変わり、ずいぶんと散漫な印象を受けた。それが面白いと言えば面白いのだが、論理を追いかけるのは大変だ。introductionで「宗教とはなにか?宗教とは、この現代に生き残っている過去である」(p.11)と端的に述べてくれているのだが、そのわりには本論を読み進めても、それをパラフレーズしてくれているような叙述をなかなか見つけられなかった。しかし我慢して再度通読してみた。一回目よりもずいぶんと理解できた。本書は、一度読むだけではわかった気にすらなれない、なかなかやっかいな本だ。

著者が言わんとすることを、僕なりにまとめれば、以下のようになるだろうか。いまいち自信がないけれど。

宗教とは、まだ人間が自分の頭で十分にものを考えられない時期に作り出した“生きていくことを考えるための方法”である。したがって、人間が“自分の頭でものを考えられる”近代においては、宗教は不要であり、解体される必要がある。だが、その意味での近代的な思考は日本人には定着しておらず、それゆえ“自分の頭でものを考えること”に関する混乱が起こっている。“自分の頭でものを考えること”は本来“孤独”なものであるはずなのに、その“孤独”の埋めあわせるものとして“救済”[=宗教]が求められてしまうのだ。だから日本人は「宗教のことを分からなくちゃいけないんじゃないか?」と考える。しかし、日本人は宗教を外面的な儀礼と結びつけて理解してきたために、個人の内面の問題と結びつけて理解できない。日本では個人の内面を管轄するのは、宗教ではなくて哲学であった。だから宗教が難解なものになってしまう。「信じる/信じない」ではなく「わかる/わからない」の問題になってしまう。「わからない」から「こわい」。

僕は宗教学の専門家ではないから、著者の分析がどのくらい学問的に妥当なのかは判断できない。ただ、“自分の頭でものを考えられない”日本人が本当の「近代」を獲得するためのエールとして本書が著わされたのであれば、根底にある問題意識は案外オーソドックスなものだと言えるだろう。

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

評価:★★★☆☆