乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

山内志朗『ライプニッツ』

ここ2年超、「存在の連鎖」(と古典派経済学との知的関連)について断続的に研究している。「存在の連鎖」というのは、ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖 (晶文全書)』によって定式化されたもので、神によって個別に創造されたすべての種(生物・無生物)は、最も高等なもの(天使)から最も下等で原始的なもの(鉱物)にいたるまで、「欠けている環」のない単線的な階層秩序を形成しているとする信念、存在了解、分類学上のシステムのこと。プラトン以来、西洋思想史を支配してきた観念図式の代表格で、この図式をもっとも典型的に表現しているとされるのが、詩人アレクサンダー・ポープと哲学者ライプニッツである。となれば、ライプニッツに関してあまりに無知なのはまずいだろうと思い(『存在の大いなる連鎖』にもライプニッツの理由律や最善説が頻繁に登場)、本書を手にとったわけだが、しかし・・・。

ライプニッツの哲学がそもそも難しいのか? それとも著者の語り口が必要以上に難しいのか? それとも僕が単にアホなのか? いずれかは判断しかねるが(3番目の可能性大)、本書は僕の理解の範囲を超えていた。記述の抽象度が高すぎる。3回通読して、ようやくおぼろげながら「著者は・・・と言いたいのではないか」と推測できるようになった程度だ。とりあえずそれを記すことにする。よくわかっていないまま書いているので、煮え切らない文章になるだろうが、その点はご勘弁を。

本書の構成は「はじめに」「I モナドの哲学」「II 個体性をめぐって」「III 〈自分〉の唯一性」。著者は、「はじめに」で、「「なぜ私はひとりしかいないのか」という問いにこだわりながら、ライプニッツ哲学をなぞってみる」(p.9)と述べ、本書の基本的な方向性を示す。

「I モナドの哲学」によれば、ライプニッツ哲学の根本概念は「モナド」である。

モナドは…「生命と力を有し、この世に一つしかなく、分解もできないもの」と理解した方がよい。
ライプニッツは、生命を持つものすべて、昆虫どころか、植物、バクテリアをも含むものとして、「モナド」という概念を提出している。そして、動物どころか、植物にも表象と欲求を認めている。岩のように、一見すると生命なきもののように見えるものにも、生命、それどころか、「心」を認めようとする態度だ。池の透明な水は生命のない無機物に見えるが、それを当時発明されたばかりの顕微鏡で見たら、プランクトンがたくさん泳いでいるのを知り、〈宇宙は生命に満ちあふれているのだ〉とライプニッツは感動した。そのことがモナドを考えたことの一因にあるようだ。(pp.24-5)

ライプニッツによれば、存在するものはすべて差異を有する。すべてのモナドは唯一性を有する。しかし、この唯一性と「なぜ私はひとりしかいないのか」という問いに含まれている唯一性は同じ唯一性なのだろうか?(p.44) どうもそうではなさそうだ。

その答えは「III 〈自分〉の唯一性」で明かされる。

すべてのモナドは個別的実体だ。…だが〈自分〉の唯一性は、そういった唯一性に尽きるものではない。〈自分〉の唯一性は…ダンゴ虫の唯一性と同じものではない。〈自分〉とダンゴ虫はどこが違うのだろうか。…。
ライプニッツの答えは、自己意識、自覚的表象の有無である。・・・。
〈自分〉が唯一であるとは、唯一であることに気づいている限りにおいてである。(pp.100-1)

「なぜ私は世界にひとりしかいないのか」を問うとき、この〈自分〉は、世界に埋没して存在するのではなく、唯一性を反省する限りで、その唯一性が意味を持つような存在者としてある。求められている唯一性とは、唯一性を考える唯一者のうちに現れてくる唯一性なのである。(p.108)

一読した時には「II 個体性をめぐって」の本書全体における位置づけがよくわからなかった。僕はこの「唯一性を反省」している時に立ち現れてくる光景を描写しているものとして理解した。

「微小表象」とは「我々の意識に上らない表象」(pp.27-8)であり、それが

モナドの「地平」をなしている…。
地平というものは、中心部は光に満ち、そこに現れる事物は輪郭も鮮やかに見える領野を形成しているが、光の部分も周辺に広がるにつれて光は弱まり、次第に暗闇に消えていく平面である。そして、その地平には、寄せて返す波のような、濃淡のゆらめきがある。中心部の最も際立った濃度のところに、〈自分〉は現れると考えられる。
では、〈自分〉とはどういうものか。ライプニッツがその特徴として考えるのが、自覚(仏:l'aperception「統覚」「意識的表象」「自覚的表象」とも訳される)である。
ライプニッツは、この「自覚」という概念を初めて哲学の世界にもたらした。…。
先に見たように「微小表象」とは〈自分〉の中にありながらも、意識されることなく、せいぜい得体の知れないものとして存在し、ぼんやりとした暗闇にしか見えないものだが、そういった暗い領野を背景・地平としながら、そこに浮かび上がってくる、際立った領野が、自覚、つまり〈自分〉ということだ。(pp.79-84)

おおよその内容はこのように理解した。しかし、「実在的変化」「偶然性」「強度」等々、理解できない概念のオンパレード。amazon.co.jpの高評価が不思議? 本当にみんなわかってレヴュー書いているのか? 体力のない初学者には奨められない。息切れ必至。小著だが本当に難解だった。


評価:★★☆☆☆