乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

伊藤元重『成熟市場の成功法則』

伊藤元重東京大学教授と好調企業のトップ12人との対談集。月刊誌『Voice』(2004年6月〜2005年6月)の連載対談を一書にまとめたものである。

伊藤氏は対談の名手である。対談相手が示してくれる現場の具体的なエピソードを瞬時に経済の基本原理と結び付けるその手腕には並々ならぬものがある。無印良品キッコーマンの成長過程などは素直に楽しく読めた。

しかし、名手すぎるとも言える。対談がスムーズに流れすぎて、読み手に「あれ?」という引っかかりを抱かせない。しかし、企業トップは私的利益(会社の利益)が公的利益(日本経済全体の発展)にそのままつながるのように語りがちなので(伊藤氏自身もそうした語り方をサポートしがちである)、その種の発言に出くわしたらまずは一度疑ってみるほうがよい。

例えば、野村ホールディングスの古賀CEOは、株は土地と比較して税制上不利になっている、と主張しているが(p.81)、他方、三井不動産の岩沙社長は、不動産が国内の他の資産と比較して税制上不利になっている、と主張している(p.117)。僕には自分の商売への有利・不利がそのまま一般論にすりかえられているように読めてしまう。

また、百貨店という業態の未来像をめぐって、伊藤氏は伊勢丹の武藤社長に次のように述べている。

そうすると、業態は違いますが、米国のGE(ゼネラル・エレクトリック社)という企業のやり方が参考になるかもしれませんね。
ご存知のようにGEは、エジソン由来の電機メーカーでしたが、「総合電気」という性格が強くなりすぎたために問題が出てきた。そこで、彼らは大胆なM&Aやリストラなどによって、世界でナンバーワンのシェアがとれる部門に経営資源を集中していきました。そしていまではさまざまな業態のナンバーワン企業を集めたブティック企業体のようになっています。
一つひとつを見ると、ニッチな分野もありますし、規模としてはさほど大きくないものもありますが、それが30, 40集まると、全体として非常に魅力的な企業体となっています。
私は日本の大型小売業においても、これからはこうしたやり方が有効であると思っています。(pp.63-4)

しかし、GEのやり方は誰もが手放しで賞賛するやり方ではない。東谷暁『金より大事なものがある』(次回レビューする予定)では、そのGE再生の影の側面が徹底的に暴かれている。

「企業の再編成、強化はいまや日本経済の活力の源泉です。それらを実現するためには金融の要素が不可欠で、とくに証券会社が積極的に関わることが望ましい」(pp.77-8)という伊藤氏の立場――それは野村の古賀CEO、マネックスビーンズ証券の松本CEOの立場でもあるが――もまた、(東谷『金より』に示された)証券会社の思惑を知った後では、「望ましい」どころではないように思えてくる。

僕は伊藤氏の著作(とりわけ流通関係)の熱心な読者であることを自負している。その著作はいつも啓発的・刺激的だ。多くを学ばせてもらっている。しかし、それにもかかわらず、その思想、経済ビジョンには必ずしも共鳴できずにいる。どうしても距離を置いてしまう。それは僕が普段接しているような「弱者」が彼の著作に登場しないことと無関係ではないだろう。

評価:★★★☆☆