乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

ロバート・ダーントン『パリのメスマー』

前々から読みたくてたまらなかった。ようやく読む機会を得た。本書の概要は冒頭の一節に端的に表現されているので、それをまず引用しておこう。

ルソーの『社会契約論』〔1762年刊〕は、フランスの大革命以前には彼の著作中でもっとも評判の低いものであった。この著作の惨憺たる失敗は、1780年代の急進的精神を研究する学者たちに次のような問題を投げかけることになる。この時代のもっとも偉大な政治論考ともいえる『社会契約論』が多くのフランス知識人の関心を惹くにはいたらなかったとすれば、いったいいかなる形態の急進思想が彼らの好みに合致したのだろうか。そのひとつは、動物磁気説(マニエチスム)あるいはメスメリスム mesmerisme〔メスマーの動物磁気催眠治療術〕という不可思議な姿をとってあらわれた。メスメリスムは、フランス大革命に先立つ10年間に、測りしれぬほどの関心を集めたのである。メスメリスムは本来政治とはまったく無関係なものいであったが、ニコラ・ベルガスとかジャック=ピエール・ブリソーといった急進的なメスマー主義者によって、ルソーの著作に酷似した政治理論を偽装するものになっていった。(p.14)

著者のダーントンはアンシャン・レジーム期のフランス社会を専門とするアメリカ人歴史家である。教科書的には「啓蒙思想フランス革命を準備した」などと言われているが、それは事実でなく、ルソー『社会契約論』に代表される啓蒙的著述はほとんど一般大衆に読まれなかった。それでは、いったい何が革命を思想的に準備したのか? メスメリスムが準備したのだ、というのが本書の答えである。

ウィーン生まれの医師フランツ・アントン・メスマー(1734〜1815)によれば、痙攣など神経系の疾患は、動物の身体に流れる「動物磁気」の作用によって起こるのであり、身体の磁極を摩擦するなどして「動物磁気」の作用を制御すれば(実際には暗示による催眠療法が用いられたが)疾患は治療できる、との説を唱えた。1778年にメスマーはウィーンからパリに移り、多くの患者の治療に成功することで、名声を確立した。現代ではトンデモな似非科学にしか思われないが、眼に見えない不思議な力としての「動物磁気」は、不可視の諸力をめぐる当時の流行――眼に見えない電気が避雷針の流行を生み出し、眼に見えない気体が気球飛行の流行を生み出した――に見事にマッチしており、最先端の科学と見なされた。それでは、

メスメリスムの中でいったい何がフランス大革命直前の急進的思潮を誘発したのか(p.101)

ここで注目すべきなのは、学術を振興するはずの数々のアカデミーが、メスマーおよびその弟子たちにとって、巨大な壁として立ちふさがっていた事実である。

メスマーの学説は医師という専門家の集団を脅かした。その結果、彼らはその他の既得権占有集団と結託し、人間の苦痛に対処することを忘れて、この脅威を根絶しようとしたのである。(p.105)

フランス政府のような政体は、世論を操り、科学と哲学の新しい真理の息の根を止めるために、一言でいえば「専制主義の新しき支柱」として、アカデミーを利用したのである。(p.115)

科学アカデミーの会員たちは、メスマー主義者のような独立した思想家たちに門戸を閉ざし、ついで、政府に彼らを弾圧するようしむけたのである。(p.121)

メスマー主義者たち(ブリソーやベルガスが代表的人物)は、アカデミーに正当な席を獲得しようと、長年にわたって戦った。アカデミーの「少数独裁」(p.122)、「貴族階級の支配」(p.126)、「科学的不寛容」(p.127)を告発した。生まれがよくないために、体制側から哲学者になることを阻止されていると感じた彼らは、その思想的急進性を次第に強めていった。社会化された急進的なメスマリスムが、ルソー『社会契約論』の普及版のような役割を果たしつつ、フランス革命を思想的に準備したのだ。

ブリソーが哲学者、科学者、ジャーナリストになろうとして挫折したことは、生まれのよくない田舎者はパリのサロンやアカデミー、あるいは知的職業の人びとの中ではみずぼらしい存在にすぎないこと、そして文学共和国が「専制主義」に堕ちていて、彼のような「独立独歩の人間」、つまり富もなく社会的身分もない青年が抑圧され、物笑いになっていることを、彼に悟らせた。(p.114)

メスマー主義者の神秘思想は、彼らがしばしば原初の自然を近代社会の衰退と対比させているだけに、いっそう強くルソーを想い起こさせる。・・・メスマー自身も、自説を「原初の時代に確認された真理の名残り」であると述べ、自然と交わろうとして社会から逃れ出たときにそのことに気づいたとしている。・・・。
・・・ベルガスは、近代社会の堕落を原初の時代の有徳ならびに健康と対比させることによって、彼の時代の道徳的・政治的諸規範を攻撃したのである。このテクニックはまた、ルソーが近代社会を断罪したやり方を連想させる。
・・・ベルガスはルソーのちぐはぐな思想をひとつの体系にまとめあげ、そのうえで、社会の契約的起源のようなルソーのぎこちない諸公理のいくつかを切り捨てて、師の精神的熱望を保持したのである。(pp.143-5)

ベルガスは、ルソーの思想傾向を人間相互間の肉体的・心理的関係のメスマー的分析の中に注入することによって、フランスに革命をもたらす道を見出したのである。・・・ベルガスは急進思想を結晶化させ、いまだ政治問題に目覚めていなかった読者大衆にルソーの思想の普及版とでもいうべきものを伝えるために、メスメリスムを利用したのである。(p.151)

約40年前(1968年)に公刊された研究書(原書)だが、今でもまったく古さを感じさせない。イギリス思想史研究におけるメスメリスムの重要性については、ポーコックが『徳・商業・歴史』第10章「バークのフランス革命分析の政治経済学」の注の中でさりげなく言及している。以前から気になって仕方がなかったのだが、意外にも、その示唆がその後の研究において継承・発展させられたようには思われない。「誰もやらないなら、それは僕のやるべき仕事だ」という自覚が強まっている。こんなわけで、メスメリスムの勉強を開始したわけである。果たして文化大革命の勉強と両立できるのか、はなはだ不安であるが。

お見事としか言いようのない流麗な訳文。天晴。

パリのメスマー―大革命と動物磁気催眠術

パリのメスマー―大革命と動物磁気催眠術

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