乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

只腰親和『「天文学史」とアダム・スミスの道徳哲学』

本書は「経済学方法論フォーラム」の共同メンバーでもある只腰さんが12年前に公刊されたスミス研究書である。スミスの道徳哲学(社会科学)研究の方法上の特質を、彼の学問論・知識論に着目しつつ――とりわけニュートン天文学とロックの認識論との関連を重視しつつ――明らかにしようとしている。駆け出しの頃に斜め読みしたが、このたびじっくりと腰をすえて読み直す機会を得た。

本書が想定している読み手は、『道徳感情論』および『国富論』に関して一定レベル以上の知識を有しているような読み手である。その意味で本書は紛れもない専門書なのだが、数多あるスミス研究書とは一味も二味も違っている。文体は簡潔かつ平易であり、論の進め方も丁寧かつ着実である。重要ポイントは繰り返し論じられるため、読み手の頭の中に無理なく入ってくる。いい意味で入門書・啓蒙書の香りを放っている。

18世紀におけるニュートン受容の多様性を論じた第2章は見事なできばえである。観念連合がニュートン受容の一形態であることは、恥ずかしながら、このたび初めて教えてもらった(大昔に読んだ時はまったく目に留まらなかったようだ)。ロック、ヒューム、スミスの知識論の論理構造の図式的整理(p.111)も鮮やかである。

知的刺激満点だった。僕が長年「書きたい」と思い続けているのは、まさしく本書のような研究書なのだ。素朴で小さな「?」を掘り続けているうちに、やがて大きな鉱脈にぶちあたる。只腰さんの場合の「?」は、経済学の父であるスミスが青年時代に天文学の歴史に関する論文を書いていたという事実だった。何も知らない他人は「やり方がうまい」と言うかもしれないが、それは結果論にすぎない。当の本人にしてみれば、素朴で小さな「?」を愚直に肌身離さず手放さなかっただけなのだから。阿部謹也の名著『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)』もそのようにして生み出されたのだ。歴史研究にかぎらず、研究とは本質的にそうであって欲しいものだ。

・・・『道徳感情論』で人々が社会生活を営むうえでのさまざまな現象を説明する有効な原理として採用されている「同感」はニュートンの重力に相当するものと言えよう。・・・しかしそのことから直ちに、スミスがニュートンから学んだのは、この意味での「ニュートン的方法」*1のみであった、と即断することはできない。(p.56)

スミスは、はたして『道徳感情論』の具体的にどのような問題を考究する際に、かれの「天文学史」に由来する方法を用いているのか。私は、それを彼の正義論の文脈に探りうると考えている・・・。(p.154)

「天文学史」とアダム・スミスの道徳哲学

「天文学史」とアダム・スミスの道徳哲学

評価:★★★★★

*1:あらゆる現象をできるだけ少数の原理によって説明しようとする「単純性の原理」「節約原理」のこと。