オックスフォード大学出版会の「一冊でわかる」シリーズ(very short introductionシリーズの日本語版)の中の一冊。目次は以下のようになっている。
最初に読んだ時の印象は決して良いものではなかった。いかにも教科書的な無味乾燥な叙述がひたすら続くような感じで、退屈であった。そんな中、唯一印象に残ったのは、グローバリゼーションについての簡にして要領を得た定義である。
グローバリゼーションとは、世界規模の社会的な相互依存と交流とを創出し、増殖し、拡大し、強化すると同時に、ローカルな出来事と遠隔地の出来事との連関が深まっているという人々の認識の高まりを促進する、一連の多次元的な社会的過程を意味する。(p.17)
まず、「多次元的」であることに注意したい。グローバリゼーションは経済・政治・文化といった単一のどのような主題の枠組みによって限定しがたい性質を有している。また、進行中の「過程」であることにも注意したい。著者は、静態的な最終「状況」を意味する場合は「グローバリティ」という言葉がふさわしい、としている。
趣旨を同じくする伊豫谷登志翁『グローバリゼーションとは何か』*1と比較した場合、最初は伊豫谷のほうが格段にすぐれているように思われた。伊豫谷の議論は、資本のフレキシビリティと労働市場の変容を中心的論点に据えることによって、読者の理解と共感を容易にしたであろう。しかし、よく考えてみれば、伊豫谷がグローバリゼーションに与えている説明は――その多種多様な諸次元の絡み合いを決して無視しているわけではないものの――すぐれて経済的な説明である。諸現象の社会的な相互依存関係を伊豫谷以上に強調する本書は、伊豫谷の議論を批判的に補完する性格を有している。再読時にそのことにようやく気づいた。本書の印象は180度変わった。
本書の真骨頂は「グローバリゼーションのイデオロギー的次元」を論じた第6章であるだろう。著者はグローバリズム*2唱導派が好んで用いるレトリックを5種類に分類している。
- グローバリゼーションは政府統制から個人を解放する。*3
- グローバリゼーションは歴史的な必然性をもって進行する過程であり、抵抗しても無駄である。
- グローバリゼーションを統括している者はおらず、誰も悪くない。
- グローバリゼーションはすべての人に利益をもたらすのであり、混乱は短期的には避けがたいが、長期的には生産性の飛躍的成長がこれに取って代わる。*4
- グローバリゼーションは世界に民主主義をいっそう広める。
大衆が実体験とのギャップ(p.122, 146)にもかかわらずグローバリゼーションへの支持へと促されるのは、これらの主張がまとっている政治的中立性の外皮のためである。さながらハーシュマン『反動のレトリック』の続編のような、知的刺激抜群の議論であった。小泉構造改革が熱狂的に支持された理由も、このようなイデオロギー的次元を抜きにして説明することはできないだろう。
グローバリゼーションがもたらした国際的・国内的な格差拡大をめぐる興味深い数値データが数多く示されているのも本書の魅力の一つである。訳者(櫻井公人)解説も良くできている。グラムシの議論との関連(p.179)がわかったことは非常に有益であった。
- 作者: マンフレッド・B・スティーガー(著),櫻井公人,櫻井純理,高嶋正晴
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/06/24
- メディア: 単行本
- クリック: 23回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
評価:★★★★☆
*1:http://d.hatena.ne.jp/nakazawa0801/20070411
*2:「グローバリゼーションの概念に新自由主義的な価値と意味とを与えるイデオロギー」(p.120)
*3:こうした主張が魅力的に思われるのは、それが近代立憲主義の精神と形式的に類似しているからかもしれない。「立憲主義的憲法は、強大な権力をもちうる政府に対して、その手足を縛るような「法的な制約」を課すこと、言いかえれば、政府に対して義務を課す制限規範としての特質を強く意識して構想されたのです」(渋谷秀樹『憲法への招待』p.14)。
*4:この主張はアダム・スミスによる自由貿易の唱導と形式的に類似している。『国富論』第4編第2章に示されている、終戦後の兵卒の再就職をめぐる議論。